第6回全国中等学校優勝野球大会
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出場校 | 15校 |
参加校数 | 157校 |
優勝 | 関西学院中等部(兵庫県)(初) |
試合数 | 14試合 |
選手宣誓 | --- |
総入場者数 | --- |
本塁打数 | 0本 |
第6回全国中等学校優勝野球大会は1920年(大正9年)8月14日から19日の間、兵庫県西宮市の鳴尾球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。
今大会で初めて前年度優勝校が出場できなかった(神戸一中、兵庫予選で敗退)ため、入場式での優勝旗返還が行われなかった。
目次 |
[編集] 出場校
- 北海道(新設)
- 北海中(初出場)
- 東北
- 一関中(岩手、2年ぶり3度目)
- 関東
- 竜ヶ崎中(茨城、3年連続3度目)
- 京浜
- 慶応普通部(東京、5年連続5度目)
- 甲信
- 松本商(長野、初出場)
- 北陸
- 長岡中(新潟、3年連続3度目)
- 東海
- 愛知一中(愛知、4年連続4度目)
- 京津
- 京都一商(京都、初出場)
- 大阪
- 明星商(2年ぶり2度目)
- 兵庫
- 関西学院中(2年ぶり4度目)
- 紀和
- 和歌山中(和歌山、6年連続6度目)
- 山陰
- 鳥取中(鳥取、3年連続5度目)
- 山陽
- 鴻城中(山口、初出場)
- 四国
- 松山商(愛媛、2年連続2度目)
- 九州
- 豊国中(福岡、初出場)
[編集] 試合結果
[編集] 1回戦
- 長岡中 7 - 4 北海中
- 関西学院中 6 - 0 松本商
- 松山商 10 - 1 鴻城中
- 京都一商 5 - 1 和歌山中
- 鳥取中 6 - 2 豊国中
- 愛知一中 1 - 0 竜ヶ崎中
- 明星商 6 - 2 一関中
[編集] 2回戦
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[編集] 準決勝
- 慶應普通部 4x - 3 松山商(延長16回)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 計 | |
松山商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
慶應普通部 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1X | 4 |
- 関西学院中 14 - 3 鳥取中
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
鳥取中 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 |
関西学院中 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | X | 14 |
[編集] 決勝
- 関西学院中 17 - 0 慶應普通部
(関西学院中)沢-三輪 (慶應普通部)田島、谷口-大川
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
関西学院中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
慶應普通部 | 0 | 0 | 4 | 0 | 7 | 1 | 0 | 5 | X | 17 |
慶應普通部は前日の準決勝延長16回の疲れが見え、投打に精彩を欠いた。関西学院中は3回、5回、8回と大量点を奪い、決勝戦における得点記録を大幅に更新した。
[編集] 今大会の問題点
今大会では、以下のような問題が表面化したため、大会本部では改善策を検討していくこととなった。
[編集] 選手資格
- 豊国中投手の小方二十世は、前年に法政大学の投手として東京の大学リーグ戦で投げていた。当時は在籍生を学校長が代表選手と認めればどんな選手でも出場できたため、このような現象が起こった。
[編集] 健康管理
- 関西学院中のエース沢昇は、大会前に肋膜炎を発症し、回復しないまま大会に出場した。愛知一中戦前日には39度の高熱を出したが、押して試合に出場し、6回からリリーフ登板した。その後も決勝戦まで登板し、この時の無理がたたったのか、大会1年半後に台湾で病没した。
- 鳥取中捕手の坂本は、脚気によりほとんど走れない状態であったが、投手の球を満足に捕球できる選手が他にいないため、準決勝まで3試合に出場した。準決勝では、相手の関西学院中が見るに見かねて、打った後の代走を認めるよう審判に提案したほどであった。
- 鴻城中投手の藤田も、脚気による衰弱状態のまま出場し、試合中の診察で衝心(心臓麻痺)の危険性を指摘された。
[編集] 関連項目
高校野球 | ||
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1924 |
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