第25回選抜高等学校野球大会
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第25回選抜高等学校野球大会(だい25かいせんばついこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、1953年4月1日から4月6日にかけて、阪神甲子園球場で行われた選抜高等学校野球大会である。なお、「第6回選抜高等学校野球大会」(だい6かいせんばついこうとうがっこうやきゅうたいかい)として開催されているが、1955年に中等学校時代の大会と通算されることになり現在は第25回として扱われている。
目次 |
[編集] 出場校
出場19校
- 北海高等学校(北海道、15年ぶり2回目[1])
- 千葉県立銚子商業高等学校(千葉県、初出場[2])
- 早稲田実業学校(東京都、5年ぶり8回目)
- 静岡県立浜松北高等学校(静岡県、初出場)
- 中京商業高等学校(愛知県、2年ぶり11回目)
- 愛知県立豊橋時習館高等学校(愛知県、2年連続2回目)
- 石川県立金沢桜丘高等学校(石川県、5年ぶり2回目[3])
- 滋賀県立彦根東高等学校(滋賀県、3年ぶり2回目[4])
- 京都市立伏見高等学校(京都府、初出場)
- 平安高等学校(京都府、3年連続16回目)
- 浪華商業高等学校(大阪府、5年ぶり9回目)
- 大阪府立市岡高等学校(大阪府、3年ぶり9回目)
- 育英高等学校(兵庫県、17年ぶり3回目[5])
- 兵庫県立洲本高等学校(兵庫県、初出場)
- 奈良県立御所実業高等学校(奈良県、初出場[6])
- 山口県立柳井高等学校(山口県、25年ぶり3回目[7])
- 土佐高等学校(高知県、2年連続2回目)
- 福岡県立小倉高等学校(福岡県、4年ぶり4回目)
- 熊本県立済々黌高等学校(熊本県、6年ぶり2回目)
[編集] 試合結果
[編集] 1回戦
- 育英 3 - 1 浜松北
- 伏見 3 - 0 北海
- 土佐 6 - 0 早稲田実
[編集] 2回戦
- 浪華商 7 - 0 金沢桜丘
- 洲本 2 - 0 中京商
- 小倉 2 - 1 御所実
- 銚子商 3 - 0 土佐
- 豊橋時習館 3 - 1 市岡
- 済々黌 4 - 0 彦根東
- 柳井 2 - 1 育英
- 伏見 3 - 2 平安
[編集] 準々決勝
- 洲本 1 - 0 豊橋時習館
- 浪華商 1 - 0 済々黌
- 小倉 11 - 2 銚子商
- 伏見 2 - 1 柳井
[編集] 準決勝
- 洲本 5 - 1 小倉
- 浪華商 3 - 1 伏見
[編集] 決勝
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
洲本 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 |
浪華商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
- (2回裏に雨のため45分間中断)
- 洲 – 北口 - 加藤
- 浪 – 中下 - 片岡
[編集] エピソード
甲子園初出場で初優勝を果たした洲本の主要選手は、1950年に中学野球で全国優勝した洲浜中学校のメンバーである。秋季大会では県大会は優勝したものの近畿大会ではベスト4(1勝)にとどまり、大会前に新聞記者から「甲子園で優勝できる人手を挙げて」といわれても手を挙げたものはいなかったという。抽選会でも初戦の対戦相手が優勝候補の中京商になったため甲子園で1勝することも厳しいと見られていた。試合出発前も「試合が終わればすぐ帰るから、荷物は全部玄関で持ってこい。」とマネージャーが指示している。しかし、初戦では中京商を散発3安打で完封したことで勢いに乗った。
[編集] 参考文献
- 「世紀を超えて ―洲本中・淡路高女・洲本高100年の軌跡―」兵庫県立洲本高等学校創立100周年記念事業実行委員会記念誌部 記念誌編纂委員会
[編集] 特記事項
- ^ 第15回に北海中学校として出場
- ^ 千葉県勢としても初出場
- ^ 第20回は金沢第三中学校として出場、石川県勢の出場としても5年ぶり2回目
- ^ 第22回は滋賀県立彦根高等学校として出場
- ^ 第12回、第13回は育英商業学校として出場
- ^ 奈良県勢としても初出場
- ^ 第3回、第5回に柳井中学校として出場
- この年からポジションどおりの背番号が復活した。
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