ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の企画
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ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の企画では、日本テレビ制作のバラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で放送された企画、コーナーについて述べる。
[編集] 概要・特徴
1989年10月の放送開始当初~約半年間は漫才形式のネタ披露のみだったが、1990年春頃~1998年頃までは「オープニング」と呼ばれる、コントやチャレンジものなどの単発企画と、ダウンタウンのフリートークの2本立てで構成。1999年以降は従来通り2本立ての場合と、企画のみで30分もしくはトークのみで30分、というケースも多い。また、新年最初のトーク収録の回はトークのみで30分放送されている。
オープニングとトークの2本立ての日はオープニングを収録してトークに臨む事も多く、また普段午後2時に起床する松本の寝坊などでトークの収録が遅れることもある(たまに観客の終電に間に合わないことも)。で、このことはその度にフリートークのネタにされる。
また、各企画名には「第○回 ガキの使いやあらへんで!! チキチキ」が付く(付かない場合もあり)。「チキチキ」は番組初期の企画「チキチキ三輪車レース」(1990年2月20日放送)に由来している。そもそもは「チキチキマシン猛レース」をもじって企画タイトルを付けたものだが、以降定例化。過去10回を越える「芸能人釣り選手権」などは例外だが、恒例企画であっても基本的に回数は「第1回」という表記が用いられる。これは「基本的には、企画は1回だけで完結させる」という意向を反映してのもの。また以前は、企画名にメンバーの名前が入る場合「浜田・松本・ココリコ他」とクレジットされることがしばしばあり、山崎のみ名前が省略されることがあった(もちろん本人はこれを嫌がっていた)が、「絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅」以降は、山崎の名前もクレジットされるようになっている。ただ、企画の中ではしばしば山崎がスカされるケースがある(遠藤たけしシリーズなど)。
尚、1997年以降はトークの放映回数が減少傾向にあるが、これについて菅はあるインタビューで「この番組は松ちゃんの発想を見る番組。それが企画になったりトークになったりするだけだから、どちらが多い少ないは関係ないと考えている」と語っている。
以下、放送日は関東地区のもの。
[編集] 主な企画
[編集] トーク
小規模な劇場・スタジオで収録される客前でのダウンタウンのトークが、番組初期からの柱である。
開始期は2人の漫才やコントが披露されたが、ネタが尽きたため1990年2月頃から全編フリートークになった。前半のフリートーク(2人の近況など)と、視聴者からのハガキによる質問に、松本が自在なボケで回答する後半のハガキトークに分かれるのが普通。
一部の視聴者は「2人のトークには台本がある」と誤認しているが、オープニングとは違い、トークは全てがぶっつけ本番。打ち合わせなどは一切なく(お互い恥ずかしいらしい)、2人の言葉の妙とその場のアドリブによって織り成されてゆく。そのため、松本がオチに窮するケースでは、浜田は松本をほったらかしにし、次第にグダグダになってゆく様子を笑みを浮かべ傍観していることが多い。
[編集] トークにまつわるエピソード
- トークでの何気ない一言から大きな企画が産まれる事が多々あり、対決&罰ゲームなどはその最たるものである。
- その中でも特筆すべきは1990年の「欽ちゃんの仮装大賞」出演であろう。当初二人は「タレントなら簡単に出演させてくれるだろう」とタカをくくっており、「カメレオン」というグダグダの演目で予選に挑戦したが結果は不合格。目を覚まされた二人は真剣にネタを考え、浜田が欽ちゃんに、松本が点数を表示する得点盤に扮した「合格ライン」という演目で予選に出場し、見事合格。本選ではトリを飾り、19点という高得点を獲得した。収録後、緊張する二人に欽ちゃんは「うれしい洒落、粋な洒落だね」というねぎらいの言葉をかけ、二人を大感激させた。この企画が発端となり、以後数々の番組で有名人の仮装大賞挑戦が企画された。
- 観覧にはしばしば有名人も訪れ、坂本龍一が観覧した縁で、1994年にはダウンタウンのラップユニット・「GEISHA GIRLS」が生まれた。
- 1994年秋には静岡・相良シーサイドパーク野外ステージで24時間トークを開催。フィナーレは「サライ」で締め、二人の目には薄っすらと光るものが見えた。
- 1995年には、松本が「まずいジュースを作らへん?まっず~!体にも悪いよ~、みたいな」と思い付いたのをきっかけにプロジェクトが立ち上がり、メンバーによるテイスティングの結果、ドリアンのフレーバーを使用したジュースを製造することが内定した。ところが、メーカー側から「ドリアンの臭気で、製造ラインに悪影響が出る恐れがある」とNGが出たことから再検討。その結果、唐辛子とニッキのフレーバーを使用した「ガキ水」が完成。発売初日、日本テレビ前のショップには早朝から行列ができる盛況ぶりだったが、入手後早速試飲したファンからは次々と口々に「まずい」とブーイングが上がった。
- 1995年の春のスペシャルで、トークに三田佳子がサプライズゲストとして登場。当時松本と芸能人長者番付1位の座を争っており(当人同士は争っているつもりはなかったであろうが)、トークのなかでも幾度となく三田の話題が出たが、そんな二人が夢の共演を果たした。三田から「もういらないからあなたにあげる!」と長者番付1位のタスキを渡された松本は「そんなことないっすよ! 絶対三田さん今年も1位ですって! 今年もどんだけルル飲んだ思てるんすか!」(三田は当時風邪薬のCMに出演していた。ただ、実はルルではなくパブロンだったのだが)と返し、二人はお互いに1位の座を譲り合おうとした。
- 2005年には「お二人は最近なぜおそろいの衣装で出演しないのですか?」というハガキがきっかけで、翌週二人で全く同じ衣装で出演した事もある。
- 2005年11月20日放送分で、6年ぶりにトークセットが一新された。理由は旧セットの老朽化であり、低予算で制作していることが窺い知れる。なおその前のトークで収録中に地震が起きており、松本が「前の地震の時にスタッフもやばいと思ったらしいですよ」とギャグにしていた。
[編集] ハガキ
- 視聴者からの質問をダウンタウンが受け付けるコーナー。質問の投稿はハガキの他、現在は公式ホームページでも受け付けている。ハガキが読まれた視聴者にはテレホンカードや番組特製クオカードなどが贈呈される。
- 放送初期はほとんどがまともな質問であったが、90年代になってから徐々に「そんな事ダウンタウンに聞いてどうする?」という下らない質問が主流を占めるようになり、現在ではまともな質問などほぼ皆無である。あまりにも下らない質問にはダウンタウンが素で呆れた事も(例「キ○タマの皮をギュッとつねっても痛くないのは何故ですか」など)。
- 暗黙のルールなのか、質問には「○○で有名な松本さんに質問です」「昔○○だったという松本さん」など、「つかみ」の一言が添えられている事が多い。
- 質問を読むのはかつては松本の役割だったが、90年代半ばから浜田が読むようになり、現在に至る。
- ハガキの束が乗ったカートは、現在スタッフによって持ち運ばれているが、初期の頃は毎週サプライズゲストが運んでいた。
[編集] トークセット
- 初代 1989年10月~1990年?月(黒を基調としていた。途中からマイナーチェンジした)
- 2代目 1990年?月~1991年?月(緑・オレンジのライトが増えた)
- 3代目 1991年4月(?)~1991年9月(?)(落書き調のイラストが描かれているもの。セットデザインは日比野克彦が担当した)
- 4代目 1991年10月(?)~1992年?月
- 5代目 1992年?月~1993年6月
- 6代目 1993年7月~1994年7月(?)(シマウマ柄を特徴としたもの。一部はクイズ世界はSHOWbyショーバイ!!やスーパークイズスペシャルのセットに使われた)
- 7代目 1994年7月(?)~1995年9月(?)(漫画のひとコマ(吹き出しなど)が散りばめられたもの)
- 8代目 1995年10月(?)~1997年8月26日
- 9代目 1997年9月2日~1999年6月27日(モナ・リザなど、歴史上の絵画が数多く貼られていた)
- 10代目 1999年7月4日~11月28日(6代目とほぼ同じ物を使用した)
- 11代目 1999年12月5日~2005年11月19日(ボウリングのピンが大量に描かれていた。セットデザインは田中秀幸(フレイムグラフィックス)が担当した)
- 12代目 2005年11月20日~現在(前作に続き田中秀幸が担当。魔法瓶と湯呑みをモチーフにしている)
[編集] 出囃子
ダウンタウンがトークセットに登場する際に流れる音楽(出囃子)は、フリートークコーナー開始当初からコールドカットの楽曲「Stop This Crazy Thing」を編集したもの(サンプリングによる「Ladies and Gentlemen」というアナウンスが入る)が使用されていたが、一時期1~2年に1回リニューアルされるのが恒例となっていた。松本がアドリブで作詞・作曲し、その場で収録されるが、ほとんどがあからさまなパロディである。1997年~2004年までは、松本のアドリブで発したフレーズに、日テレで唯一のクラシック班の斎藤(政)ディレクターが音楽などのアレンジを施して創られていた。
- (タイトルなし。通称「そこはダメなのよ」、1997年)
- 「バカチコ!」(1997年~1998年)
- サディスティック・ミカ・バンド「WA-KAH!/CHICO」、少年隊「デカメロン伝説」
- 洋楽っぽいテイストのナンバーというコンセプトで造られたが、単に松本が「バカチコ!」「逆バカチコ!」「Not バカチコ!」と連呼しているだけ。録音中にネタ切れし、松本がいっぱいいっぱいになった瞬間、浜田が「国歌?」とツッコんで助け舟を出した。「バカチコ」とは「私達の恋を応援して欲しい」という意味らしいが、今となっては真相は闇の中。だが、この出囃子は後に奥田民生が大絶賛している。
- サディスティック・ミカ・バンド「WA-KAH!/CHICO」、少年隊「デカメロン伝説」
- 「タクシー・ドライバー」(1998年~1999年)
- コロムビア・ローズ「東京のバスガール」
- 当初は松本が即興で歌ったものに横森良造の伴奏を乗せたアコーディオンバージョン。イントロからメロディの間に、通常の楽譜上では絶対にあり得ない転調をするのが特徴である。後につんくにアレンジを依頼し、シャ乱Qによるバージョンが登場。このバージョンではイントロのコードをメロディに揃えてあるため、メロディラインは比較的滑らか。後につんくがこの「タクシー・ドライバー」を「(シャ乱Qの)アルバムに収録したい」と別番組で松本に持ちかけたところ、あっさり拒否。しかし最終的には快諾し、1999年3月25日発売『ベストアルバム おまけつき '96~'99』に収録された。但しアレンジ等を主導したのがはたけだったため、クレジット上は「はたけのプロデュースによる楽曲」となっている。
- コロムビア・ローズ「東京のバスガール」
- 「ようかん夫妻」(1999年~2000年)
- 「松ちゃんBABY」(2000年~2001年)
- 中尾ミエ「可愛いベイビー」。
- 「浜田の耳毛がよ~」(2001年~2002年)
- 東京ディズニーランド・エレクトリカルパレードのテーマ(原曲:ペリー&キングスレイ「Baroque Hoedown」)
- 「松本・浜田の薬箱」(2001年~2002年)
- SMAP「らいおんハート」、ハリー・ベラフォンテ「バナナ・ボート」
- 「ガキガキ君」
- 「人志はアジアのパピヨン」(2004年)
- 島谷ひとみ「パピヨン ~papillon~」、ユニ・チャーム・ムーニーマンCMソング
- 2004年1月25日放送分で誕生。後に「パピヨン」が出囃子に使われた事を別番組で聞かされた島谷は喜んだものの、楽曲自体がジャネット・ジャクソン「Doesn't Really Matter」のカバー曲であるなど著作権が複雑である事から、6月20日放送分を最後に使用を取りやめた。
- 島谷ひとみ「パピヨン ~papillon~」、ユニ・チャーム・ムーニーマンCMソング
これ以降は、スタート当時のコールドカットの曲に戻っている。また1回のトーク収録を数回に分けて放送することが多く、出囃子の意義は事実上なくなった。
[編集] 松本vs浜田・対決シリーズ / 罰ゲーム
年に1~2度の恒例企画。松本チームと浜田チームが日本シリーズや紅白歌合戦の勝敗予想、スポーツ、ゲームなどで対決(紅白歌合戦の勝敗予想は1995年以降、日本シリーズの予想対決は2003年以降行われていない)。1998年のゴルフ対決からは山崎・ココリコも参加している。敗者はきつ~い罰ゲームを受ける。罰ゲームは、ゴールデンで特番を組んだり、通常枠で3週前後に渡って放送される(「24時間浜田雅功営業中」から)。 以下年代順に列挙。
- ▼:松本が罰を受けた罰ゲーム
- ▲:浜田が罰を受けた罰ゲーム
- ○:山崎が罰を受けた罰ゲーム
- ●:遠藤が罰を受けた罰ゲーム
- ■:田中が罰を受けた罰ゲーム
- □:浜田が仕掛け人となった罰ゲーム
- ×:浜田以外が仕掛け人となった罰ゲーム(松本・山崎・ココリコ)
- ガララニョロロでズームイン(1990年正月) ▼
- SM亀甲縛りアルタ画面で番組宣伝(1990年春) ▼
- しりとり「す」で返す対決(1990年4月24日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。亀甲縛りをさせられ、スタジオアルタの大画面で番組宣伝を行った。罰ゲームの模様は5月8日放送。
- 決死のスカイダイビング(1990年夏) ▲
- 90年プロ野球オールスター勝敗予想対決(1990年7月31日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。着地後には浜田が涙を浮かべるなど、番組史に残る感動の罰ゲームとなった。罰ゲームの模様は8月7日放送。
- 罰ゲームさんいらっしゃ~い(1990年年末) ▼
- 冬の湘南赤フンドシで寒中水泳(1991年冬) ▼○
- ハゲヅラでジェットコースター(1991年夏) ▼
- 500人対500人ドッジボール対決(1991年5月28日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。ハゲヅラをかぶり、よみうりランドのジェットコースター「バンデット」に乗車させられた。終わった直後に松本は「おいコラ!一番怖くないやつ乗せるって言うたやんけ!めちゃめちゃ怖いやないか!」と激怒。罰ゲームの模様は6月4日放送。
- カラーバーになってテレビジャック(1992年正月) ▼
- 91年紅白勝敗予想対決(1991年12月22日放送のトークにて・12月29日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。早朝、カラーバーになった模様が生中継された。松本は自著・「松本坊主」の中で、フジテレビ全盛だった当時に、この罰ゲームをきっかけに日本テレビの事がすごく好きになったと語っている。放送開始という局の顔とも言えるシーンを芸人にやらせると言う日本テレビの器の大きさに感心したという。罰ゲームの模様は1月19日放送。
- アシカショーで人気者になろう(1992年秋) ▼□
- ラクビー対決(1992年5月24日・31日・6月7日放送)で負けた松本に対する罰ゲーム。アシカに扮し、水族館で本物のアシカと共演した。松本は「死ぬから…」などと怖がっていた。罰ゲームの模様は6月21日放送。
- 局タイトルの鳩になってクルックー(1993年正月) ▼
- 92年紅白勝敗予想対決(1992年12月20日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。当時、日本テレビの放送開始時に映った鳩のアニメーションを、松本が鳩になりきって演じた。罰ゲーム終了後、不満たらたらの松本が真夜中に浜田に電話した最後の捨て台詞「おまえに誘われて吉本に入ってよかった」は番組史上屈指の名台詞である。罰ゲームの模様は1月17日放送。
- フランスへエビアンを汲みに行く(1993年夏)▲
- 走り高跳び対決(1993年7月11日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。弁当を喉に詰まらせた松本が浜田に「エビアン汲んできて」と言い、浜田はスイス・フランスへ行くはめに。現地では過酷な山道を歩き、源泉の滝まで行って水を汲んだが、結局は地元の町中の水道から湧き出るエビアンを汲んで持ち帰った。松本は50時間近く苦しみ続けたが、浜田が帰国し、楽屋に戻った瞬間に治った(無論、演技)。罰ゲームの模様は同年7月25日放送。
- 早朝親子寄席(1994年2月6日O.A.) ▼
- 93年紅白勝敗予想対決に負けた松本に対する罰ゲーム。母・秋子と親子漫才をやった。早朝4:57~5:00の3分間生放送されたが、時間が足らず、ネタの途中で「早見優のアメリカンキッズ」に画面が切り替わった。一年前と同様、この時も浜田に電話。「親子の生き様見とけ!」の捨て台詞を残した。
- NYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く(1995年春) ▲
- 94年紅白歌合戦勝敗予想対決に負けた浜田に対する罰ゲーム。シャープペンを取りに坂本宅まで行くが、玄関のドアをチェーンロックをかけた状態で、僅かに開けたその隙間より坂本からシャーペンを投げ渡されるという、けんもほろろな扱いを受ける。帰国後、消しゴムを忘れたため再度行く事に。罰ゲームの模様は1995年4月2日にゴールデンタイムの2時間特番の中で放送。
- 松本のおかんとタイタニック(1998年夏) ▲
- ゴルフ対決(1998年5月24日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。ハリウッドに行き、松本の母・秋子さんと「タイタニック」の一場面を演じた。罰ゲームの模様は同年8月23日放送。松本は映像が始まった瞬間に「これはアカンで!これはキツいで!うわぁ~アカンアカン!!」と絶叫。キスシーンもあった。一方、松本の父はこの企画を見て若干本気で嫉妬し、機嫌を損ねていたらしい。なお、撮影は映画で使われたセットではなく、ロサンゼルスに実存する別の豪華客船で行われた(「実際に映画の撮影で使われたタイタニックのセットは、撮影終了後に沈没させたので、既に無い」と20世紀フォックスの担当者から言われたため)。
- 罰ゲームを見た直後のフリートークでは、浜田が、秋子さんは「撮影前はかなりのノリノリだった」というが、撮影が終わった後の夕食では「食べてるか食べていないか分からないほど疲れ切っており、終始下を向いて不機嫌だった」と裏話を明かした。また、父はその横で「紹興酒を飲みながらゲラゲラ笑いまくっていた」という。松本は父が撮影に同行したのを知らなかったようで、その話を聞いた途端に「親父も(一緒に)行ってたんかい!」とびっくりしていた。
- この罰ゲーム放送回の翌週の放送では、松本と浜田が、秋子さんが現地で購入した全く同じイラストのTシャツを着てフリートークを行った。
- 24時間浜田雅功営業中(1999年春) ▲
- ゴルフ対決(1998年10月18日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。1999年4月19日(月)に当時の日本テレビのスポットCMだった「日テレ営業中」を毎回コスチュームを変えながら全部で32回、24時間生放送で行った。「ジパングあさ6」や「ズームイン!!朝!」、「おもいッきりテレビ」などにも生出演。「おもいッきりテレビ」では「がきデカ」の扮装で出演したが、みのもんた一人だけにしかウケなかった。コスチュームの内容は全て松本が指示。同年4月25日・5月1日と2週に渡って放送した。罰ゲーム執行前、松本は浜田に電話をかけ、「『がんばんびー』と言え!」と指令。ちなみに罰ゲームに当たっては大規模な記者会見も催され、桜田和之CPの「これ社運がかかってます!浜田君には是非頑張ってもらいたい!」との檄に、浜田は「そしたら止めといたらええがな!」と激怒。
- 24時間耐久鬼ごっこ(2000年春) ▲○●■×
- 100メートル走対決(1999年10月17日放送)に負けた浜田・山崎・ココリコに対する罰ゲーム。24時間を体育館の中で過ごし、黒鬼が登場したら鬼ごっこスタート。鬼に捕まると、タイキック、ビンタ、チ○コマシーンなど、色々な罰を受ける。精神的、肉体的にも番組史上最凶最悪の罰ゲームとしての呼び声が高い。罰ゲームの模様は同年3月26日・4月2日・9日と3週に渡り放送。また、ここでもヘイポーのヘタレキャラが炸裂、鬼のはずがメンバーによってたかってシバかれたり、持っているパイを奪われ逆にパイを食らったりして、浜田チームももちろんの事、ヘイポーも散々だった。なお、この罰ゲームで唯一、パイを食らったのは山崎で、一人でトイレに行ったところを一気に3人の鬼にパイ3連発を食らってしまった。DVD第1巻として発売されている。
- 一人ぼっちの廃旅館一泊二日(2001年夏)
- 水泳対決(2001年2月11日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。廃旅館で24時間過ごし、次々と起こる心霊現象に絶叫し続けた。大型の罰ゲームとしては、一人であること(二人以上で受ける罰と違い、一人で全ての罰を受けなければならない)・何かをしたら罰を受けるという形になっていない、という特徴がある。8月5日・12日・19日・26日と4週に渡り放送。DVD第2巻として発売されている。
- 特に、小便を済ませるためにトイレに行って用を足そうとしたときに、女の幽霊が目の前に現れる場面では、松本は「うわぁ!!これはアカン!これはアカンて!」と尋常ではない怖がり方をしていた。結局、松本はトイレで小便が済ますことが出来ず、部屋にあった紙コップに用を済ませるという有様をカメラの前でさらしてしまい、山崎には「兄さん、ホンマ最低でしたわ!」と呆れられていた。
- 早朝松本レンジャイショー(2002年夏) ▼
- 走り幅跳び対決(2002年5月5日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本の両親、姉、兄と共にヒーロー戦隊ショーを演じた。数年ぶりに親子5人が一堂に会した打ち合わせ風景が見物で、松本は家族と会えて結構楽しんでおり、ある意味罰ゲームらしくない、終始和やかな雰囲気であった。その様子を見て山崎は「罰ゲームとちゃいますやん!」とボヤいていた。早朝4時25分~4時30分の5分間生放送された。同年8月4日・11日と2週に渡り放送。DVD第7巻に収録。
- なお、当初の罰ゲーム予定日には台風が接近しており、交通機関が麻痺したため松本家が上京できず、結局当初の予定日より2週間延期して企画は行われた。
- ※実はこの罰ゲームは93年の紅白予想対決の罰ゲームとして企画されていたのだが、著作権の許可が降りず断念し、『早朝親子寄席』に至る運びとなった事が当時のトークで話されている。約9年の歳月を経て実現した罰ゲームである。
- ノーリアクションパイ地獄(2002年秋) ▼×□(松本以外全員の仕掛け)
- 2002年日本シリーズ勝敗予想対決(2002年10月27日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本は普通に家の中で過ごし、浜田・山崎・ココリコがひたすらパイを投げ続ける中、全くリアクションせずに日常生活を送らなくてはならない。罰ゲームの模様は11月17日放送。DVD第7巻に収録。
- 絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅(2003年夏) ▼○●■□
- 「4対1変則ボウリング対決」(2003年5月18日放送)に敗れた松本・山崎・ココリコが、さまざまな仕掛けが施された温泉旅館で笑うのをガマンさせられる過酷な罰。山梨県石和町(現:笛吹市)の温泉旅館で行われ、7月27日・8月3日・10日・17日の4週にわたって放送された。笑ってしまうと尻に吹き矢を刺される。松本は尻の吹き矢の跡が何ヶ月も消えなかったと述べている。本人曰く「イチゴのようになった」。吹き矢の矢はスタッフのお手製(円錐形の先端に針を仕込む)で、出来が一定でなかったらしく、出来が悪く先端の針が出過ぎている矢が刺さった部分の痕跡は3年たっても消えないという。なお笑ってはいけないシリーズのうちこの回はかなり判定が緩く、笑っているのにも関わらず罰を免れているシーンを良く見受ける。罰を受けた回数は、少ないほうから 田中20回 遠藤29回 山崎39回 松本52回。DVD第3巻として発売されている。なお、この放送の最後に「この企画は勝負に負けた“芸人”がその“罰”として行ったものであり、単にお尻に吹き矢を吹かれる為に行ったものではありません。」とテロップが流された。
- この「笑ってはいけない~」シリーズは、レギュラーの企画で好評だったゲームの数々、準レギュラー陣、キャラ達が目白押しで「七変化」における、笑ってはいけない状況でいかに笑いを取るかという概念も活きており、まさにガキの使いの集大成とも言える罰ゲームで、スタッフの力の入れようも相当なものである。レギュラー放送時は低予算で作られている当番組にあって、予算のかけ方も映画撮影並。以降、年一回の恒例として続けられている。なお、浜田が罰を与える側の時はドSの本領発揮の如く容赦無いジャッジと理不尽な理由での罰を与え(稀に、自らお仕置き役に扮し、通常以上の一撃を相手に喰らわせることも)、松本が罰を与える時には、その笑いのセンスを如何無く発揮し、容赦無くしつこく笑わせようとする傾向がある。また、罰を受ける側同士でも、他のメンバーを巻き添えにすることがある。
- ウラジオストクのウラジオストク中学の体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる(2003年年末) ▲
- 絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅in湯河原(2004年年末) ▲○■×
- 初めて事前にチーム分けをせず、山崎が発案した新ルール「ダウンタウンのどちらかがアウトになるまで対決を続ける」という負け抜け方式の「わさび寿司ロシアンルーレット対決」(2004年9月19日放送)で負けた浜田・山崎・田中が罰ゲームを受けることに。2003年に行われた「笑ってはいけない温泉旅館」を松本プロデュースでパワーアップ。神奈川県湯河原町内でロケを行い、12月28日にゴールデンタイムの2時間特番として放送された(未公開部分は2005年1月9日放送)。笑ってしまった場合のお仕置きは、SMの女王様から競馬用の鞭で尻を叩かれる(寺で座禅をしている間は住職による警策のお仕置き)。罰を受けた回数は、少ないほうから 田中64回 山崎72回 浜田78回。前回1位の松本52回を全員が上回った。
- この企画で遠藤が演じる覆面レスラーダイナマイト四国が「四ッ国! 四ッ国!」という決めポーズでブレイク。
- また、この企画が高視聴率(関東16%、関西20%)だったことから、当時放送が休止されていた地域(中京圏や京阪神圏)では放送再開の要望が地元系列局に多数寄せられ、翌年の4月から放送が再開された。DVD第5巻として半年後に発売されている。
- わさび寿司ロシアンルーレット対決
- ルールは、100個の寿司を順に食べていき、その中に4個あるわさび寿司を食べた者が罰ゲームとなる。松本と浜田のどちらかが当たるまでゲームは続き、ダウンタウンに当たるまでにわさび寿司を引き当てた者は無条件に罰ゲーム決定となる。ネタは全10種類でサーモンの人気が高かった。また10巡目以降は浜田の提案で「全員が同時に食べる」と言うルールが追加された。浜田は残り一個のサーモンでわさび寿司を当ててしまった(ちなみに直前に田中がサーモンで引き当てており、「もうサーモンには絶対入ってない」との浜田の読みはスタッフの意地悪によりもろくも崩れ去ったことになる。松本はこの現象を「うわ~、なんか昔話みたいや~、やっぱ悪は滅びんねんな!」とチクリ)。今回、山崎は「赤身」、田中と浜田は「サーモン」を選び罰ゲーム決定。
- 絶対に笑ってはいけないハイスクール(2005年秋) ▼○●■□
- 前年と同じく負け抜け方式の「ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決」(2005年6月26日放送)に敗れた松本・山崎・ココリコが、さまざまな仕掛けが施された学校内で、笑うのを耐えて学校生活を過ごさなければならない「笑ってはいけない高校(ハイスクール)」。栃木県那須塩原市内の学校(番組内での校名は「私立くちびる西高校」)でロケを行い、10月4日にゴールデンタイムの2時間半特番として放送された(未公開部分は2005年10月9日放送)。収録日は9月7日から8日。笑ってしまった場合のお仕置きは他校の生徒(役)から竹刀でケツバット。罰を受けた回数は、少ないほうから 田中95回 遠藤103回 山崎103回 松本162回と、今までの企画を大幅に上回り、松本にいたっては前回1位である浜田の78回の倍を超えた。 視聴率は関東地区15.2%、関西地区19.4%。
- 「クイックジャパン」誌上の企画で、鈴木おさむ・高須光聖ら一線級の現役放送作家15人が「視聴率にとらわれず、本当に面白い番組を」選んだ「TV・オブ・ザ・イヤー2005」では、理屈抜きに面白かったという番組に贈られる「エンタテインメント賞」にこの企画が選ばれた。評判はよかったが、ロケハンや撮影に莫大な費用がかかったことと、本番前日の大雨の影響で、屋外で行う予定だったネタの大半がボツになってしまった事などから大赤字を出した企画。DVD第8巻として発売されている。
- ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決
- ルールは、100個設置してあるコンセントのうち1つを選び、それを中央にあるコンセントに結び、自分の肩に貼り付けられた低周波治療器(レベルは最強)のコンセントを差し込む。電気が流れるコンセントは4つあり、電気が流れてしまったら罰ゲーム決定。こちらも心理戦となった。対決は3時間にもおよび、残りのコンセントの数が一桁になるまで行われた。ちなみに遠藤は「36番」、山崎は「47番」、田中は「53番」、松本は「64番」のコンセントを選び罰ゲーム決定。
- 絶対に笑ってはいけない警察24時(2006年~2007年年越し放送) ▲○●×
- 前年と同じく負け抜け方式の「タライアンルーレット対決」(2006年10月8日放送)に敗れた浜田・山崎・遠藤が罰ゲームを受ける事になり、2006年~2007年年越しにスペシャルとして放送された(未公開部分は2007年1月7日放送)。田中が初めて罰を与える側になったことにより、笑ってはいけないシリーズ全て罰を受けるのは山崎一人となった。ロケ地は静岡県御殿場市と、隣接する駿東郡小山町。今回の舞台は架空の警察署「しゃくれ警察署」で、笑ってしまった場合(交通機動隊での研修中は、ルールは”絶叫してはいけない”に変更された)のお仕置きはアメリカンポリス(時々日本人がアメリカンポリスに扮しお仕置きしていた)による特殊警棒でのケツしばき。罰を受けた回数は、少ないほうから 山崎169回 浜田174回 遠藤189回と以前まではダウンタウンがトップだったのだが今回は始めて遠藤がトップだった。また、前回トップの松本162回を全員が上回っている。なお、山崎も回を重ねるごとに罰を受ける回数は減ってきている(周囲と比較して)
- 今回は歴代署長の写真の中に1枚チワワが掲げられていた。
- なお、年越し放送にもかかわらずごく普通の録画放送であり、松本曰く「日テレでVTRで年越しって前代未聞ですよ。カウントダウンも無しなんですよ」。結果、年越し時には他局がこぞってカウントダウンに入る中、日本テレビは本当にカウントダウン無しで、ジミー大西が悪臭にむせる様を映しながら新年を迎える事となった。菅プロデューサー及び日本テレビの、年越しテレビ番組の既成の概念を覆そうという意気込みと、本企画への絶対の自信が窺えた。
- 放送前は「DVD化をする可能性が高いから、低視聴率で終わるのでは。」という懸念がされていたが、実際の視聴率は関東地区10.2%、関西地区17.2%、名古屋地区12.5%。実に一千万人以上の視聴者が、年が明けたのも気付かないまま爆笑していた計算となる。
- 今回は警察と言う設定から、今回のゲスト陣はやや渋めの役者・タレントからの起用が多く、(山下真司、小野寺昭、岡本信人、梅宮辰夫など)またラストは鬼ごっこ以来の大オチでは無く、山崎の「笑いましょうよ、卒業したんやから」と言う印象深い台詞での幕切れとなった。なお、交通機動隊訓練のカースタントで、覆面パトカー仕様のR33日産・スカイラインセダンが横転。同じく覆面仕様のY33日産・グロリアグランツーリスモの、後部ドアがもげる等の車両破壊があった。余談だが、登場した白黒パトカーは130系・140系・170系のトヨタ・クラウンであった。130系は2台登場し、浜田らをカースタントのロケ現場に向かう際に1台使用された。他にトヨタ・コースターが護送車として登場し、飲酒検問のシーンでは130系クラウン・トヨタ・ウィンダム・トヨタ・クラウンマジェスタが、検問に掛かる車として登場した。ちなみにマジェスタの後部座席には、山田花子が乗っていた。
- タライアンルーレット対決
- ルールは、50個吊るされたジャンルの豊富なタライを選び縄をハサミで切る。その内4個のタライは切ったら落ちてくるのでそれを引いたものが罰ゲーム。「金ダライ」や「浜田(あるいは遠藤や田中、山崎、松本のもある。)専用」、「ミニタライ」などある。イベントでは「パラシュート」や「落花生」、「巨大」、「危険度99%」など。ランダムで寸止めで止まるタライもある。今回もスタッフとの心理戦であった。ちなみに遠藤は「千秋タライ」、山崎は「ノーマル」、浜田は「浜田専用」で罰ゲーム決定。もうひとつは「金タライ」。
[編集] ハイテンションシリーズ
過去9回放送(概ね1~2年ペース)。芸人たちのハイテンション芸を楽しむ名物企画である。
ハイテンション企画のパターンは2通りに大別される。過去7回放送されているハイテンション・ザ・ベストテンは、「ザ・ベストテン」をモチーフにパロディ化したカウントダウン形式によって芸人達のハイテンション芸を楽しむ。司会は浜田(黒タキシード姿)と松本(黒柳徹子の格好をしている)。もう1つはお笑い芸人ドラフト・ハイテンションバトル。松本・浜田チームに分かれ、それぞれのチームのメンバーがハイテンション芸を競う対戦形式によるもの。同様の紅白ハイテンション合戦と合わせ、過去2回放送されている。
このガキのハイテンション芸には、近年のバラエティ番組にありがちな笑いを助長させる演出など一切無く、まさに一人の芸人としての全ての力が試される場であり、ガキメンバー3人を含む出場芸人はネタ作りや衣装、セットなどに趣向を凝らして臨む。出場寸前には極限状態に追い込まれるというが、藤井隆、森三中など、この企画をきっかけに全国区でブレイクした芸人も多い。遠藤が髪をオールバックにセットしてブリーフ一丁で歌い踊る「ホホホイ」シリーズは珠玉の名作。尚、ベストテンの場合、第1位には何故か山崎が選ばれるケースが多い。大トリを任された山崎は追い詰められたような表情で登場。ネタ開始のゴング直前の構えまででほぼ全てを出し尽くしてしまい、ネタそのものはグダグダの展開に終わるケースが多いものの、良くも悪くも一見の価値はある。
元々は1998年3月に放送された「ココリコVSリットン調査団」での「ハイテンション対決」で、遠藤が顔を叩きながら「ほほほいほほほい」と繰り返す姿がダウンタウンのツボにはまり、遠藤の芸を前面に押し出すために企画されたものである。
このハイテンションのファンは番組の視聴者のみならず、内村光良をはじめ芸能界にも数多いといわれているものの、その一方で視聴率はあまり芳しくないのか、松本は毎回オープニングで「このコーナー、お茶の間にはあまり支持されていないようです」と話す。
- 過去のハイテンションシリーズ
- 1. 1998年5月17日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 記念すべきシリーズ第1弾。藤井隆が「ホット! ホット!」で一躍大ブレイクを果たす。遠藤のホホホイシリーズ第1作「愛 ~ほほほほーい~」もここで生まれた。
- 2. 1998年6月14日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 遠藤が「ホホホイ」(5位)と「よし!ハリケーンジェラシー」(1位)の二曲同時ランクインを果たすと言う快挙を成し遂げた。しかし皮肉にもこの回を最後に遠藤のハイテンションは長い低迷期に陥る。
- 3. 1998年12月13日 年末恒例・紅白ハイテンション合戦!
- 4. 2000年6月11日 浜田チームvs松本チーム・お笑いドラフトハイテンションバトル!!
- 上島竜兵(ダチョウ倶楽部)が「豆しぼりの男」で大活躍。ハイテンション芸に“泣き芸”という新ジャンルを開拓し、松本をして「正直眼中に無かったが、とんだダイヤモンドだった」と言わしめた。
- このハイテンションバトルは松本チームが全員グズグズの内容で終わり(おさるは健闘したが)、挙げ句にはエース・遠藤も大事なオチでセリフを噛む、松本までもが進行中に噛むなどのグダグダぶりで、浜田チームの圧勝という結果に。敗れた松本には「相手チームのハイテンション芸をやって見せる」という罰ゲームが課され、「豆しぼりの男」をやらされたが、あまりの羞恥に思わず「すんません、もう勘弁してください」と土下座するという屈辱を味わった。
- 5. 2000年12月17日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 森三中がガキ初登場。後に“森三中シリーズ”の名演で、一躍大ブレイクを果たす。演目は「よそ行きの靴に履き替えて」。
- 6. 2002年4月28日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 7. 2002年12月29日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- イジリー岡田が初登場。キレのある芸を見せた。
- 8. 2004年6月6日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 9. 2005年8月28日 ハイテンション・ザ・ベストテン
- 庄司智春(品川庄司)が「平成のパピプペポ」でシャープな動きを披露。反動をつけて蹲踞して、その反動でまた立ち上がるという不可解なアクションが注目を集めた。
- 病気療養から復活した江頭が久々の登場。THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」をバックに叫びまくる演目「真夏の男祭り」は珠玉のハイテンション芸となった。
- アンガールズ、劇団ひとり、次長課長、カンニング竹山などお笑いブームで人気の出た若手も多数登場。しかし企画意図を理解していなかったアンガールズは私服で登場するという暴挙に出、スタジオを凍てつかせた。一方次長課長・河本はそれとは逆にほとんど出オチの過剰なコスプレで登場し、浜田から「お前発注しすぎや!」と怒られた。
- 番外 2006年6月18日 サッカーワールドカップ 日本代表必勝祈願!ハイテンションスペシャル!! ~ドイツに届け!! ハイテンションでガンバレ日本!!~
- サッカーW杯ドイツ大会日本対クロアチア戦の裏番組で、過去のハイテンション芸を集めたダイジェストを放送した。ちなみに松本は「放送室」において、(サッカー日本代表戦のため)視聴率が期待できないという理由で手抜きの放送をしたことを後悔していた。
[編集] 山崎 VS モリマン
1996年に端を発する、山崎とホルスタイン・モリ夫(モリマン)の因縁対決。現在は1~2年に1度放送。
「俺はずっと裏番長だった。本当はケンカが強い」と常々楽屋で言っていた山崎が、本当に強いのかを検証する為に始まった企画から発展。男と対決しても面白くないという理由から女性、しかもかなり強いという噂を聞きモリマンのモリ夫に対戦相手が決定。 元々は、山崎が「ケツ取りチャンピオン」モリ夫に挑み、パンツを脱がされるというものだったが、その後プロレス形式の試合となる。当初は女性であるモリ夫が本当にパンツを脱がされてはシャレにならないと、スタジオ収録で観客もスタッフだけで固めた上、さらに前バリも着けさせるという万全の体勢で収録を行った。しかし結果はモリ夫の圧勝に終わり、第4回以降は後楽園ホール等で観客を入れた上で収録されるなど、番組史上最も派手な企画のひとつになった。
「熱々あんかけ対決」「ゴボウしばき合い対決」など数々の名勝負を生んだが、山崎が勝利したことは一度もない。一貫して山崎が企画に消極的で、2002年2月の「ラストファイナルリベンジマッチ」では、「ママチャリ対決」にてギックリ腰を訴えてリタイア。1000人を超す観客およびスタッフを激しく失望させた。
観客として小池栄子・加藤鷹・大相撲の雅山、若兎馬らが観戦しに来ていることがある。
大規模な企画で人気も高いが、化物揃いのガキ使の中では意外に不人気の部類に入り、これを収録したDVD第6巻はシリーズで一番売れていない。浜田曰く「段々飽きてくる」。しかし、スタッフ内の人気は高いらしく、菅がこの企画を大晦日にK-1やPRIDEの裏番組として生放送でやりたいと考え、上層部に企画書を提出した所、編成局長らに「お前はバカか!」とどやし付けられたという。後日、菅本人は番組内で「必ず実現させます!」と発言し、ダウンタウンの喝采を浴びた(これは2006年大晦日で放映された「絶対に笑ってはいけない警察24時」で実現させた)。
- 過去の山崎の戦績
下記の対決は、実際に放映されたもののみについて触れている。これ以外にカットされたものもある。
- 1. 1996年11月3日 山崎ケツ公開スパーリング!!
- 2ラウンド対戦し、いずれも山崎は惨敗。
- 2. 1996年12月29日 第2回 山崎ケツリベンジ KETSU-1グランプリ!!
- リベンジをかけてモリ夫に挑んだものの(1ラウンド)、またも惨敗。
- 3. 1998年6月7日 芸能界因縁のリベンジマッチ! 山崎VSモリマン エンドレスバトル!!
- スリッパたたき対決、ローキック対決、水タオルしばき合い対決で対戦も、すべて惨敗。
- 4. 1998年8月16日 炎のファイナルリベンジマッチ in後楽園ホール(※これ以降後楽園ホールで収録)
- フランスパンしばき合い対決、熱々あんかけ対決、ビンタ対決、K-1対決、水タオルしばき合い対決で対戦も、またも全て惨敗。
- 5. 1998年12月20・27日 嵐のラストファイナルリベンジマッチ
- パンスト脱がし合い対決、ビール瓶割り合い対決、ゴボウしばき合い対決(計3ラウンド)、熱々の八宝菜対決、チーズフォンデュ対決、ハチミツ入りバケツ頭突っ込み対決(計2ラウンド)、K-1対決で対戦も、またまた全戦惨敗。
- 6. 2000年7月30日・8月6日 今世紀最後のスーパーファイナルリベンジマッチ!!
- カラーバットしばき合い対決、洗濯機ホースしばき合い対決、ケチャップ&マスタード対決、Tシャツ小籠包対決、小玉スイカ対決、納豆かけ合い対決、熱々あんかけ対決で対戦も、これも全戦惨敗。
- 7. 2002年2月3・10日 今世紀初! ラストファイナルリベンジマッチ
- ゴルフクラブしばき合い対決、豆板醤ぬり合い対決、シャンパンケツキャッチ対決、もう着ない服対決、何が出るかな?対決、ママチャリ対決で対戦も、全戦惨敗に終わった。
- 8. 2003年6月8・15日 因縁のファイナルリベンジドリームマッチ
- 恒例ゴボウしばき合い対決(計2ラウンド)、寝袋対決(計2ラウンド)、永ちゃんタオルしばき合い対決、ブタ脂肪ぬり合い対決、ガチンコ大喜利対決、口くわえバレーボール対決、宙づりしばき合い対決、熱々あんかけ対決で対戦も、全戦惨敗。
- 9. 2005年2月27日・3月6日 魂のスーパーファイナルリベンジマッチ(※ディファ有明で収録)
- サスペンダー引っ張り合い対決、顔面ビンタマシーン対決、熱々蒸しタオル対決、全身梱包対決、万国旗出されたら負けよ対決、小豆ふくんでビンタ対決、熱々あんかけ対決で対戦も、全戦惨敗。途中、ダイナマイト四国VSエスカルゴマンのリベンジマッチが行われた。
- 10. 2006年8月6日・13日 伝説のスーパーファイナルリベンジマッチ
- ハチミツ対決(計2ラウンド)、キャビンアテンダント対決、巨大風船対決、夏の風物詩対決(計2ラウンド)、エア獅子舞対決、シャンプーハット対決、熱々あんかけ対決(計2ラウンド)、ゴボウしばき合い対決で対戦するも、全戦惨敗。途中、ダイナマイト四国VSタコス兄弟のスペシャルマッチが行われた。後楽園ホールにて行われた。また、途中に暴漢が乱入したが、ピカデリー梅田が登場し「男の人を呼んだ」ために防がれた。
- 番外. 2006年12月31日
- 「笑ってはいけない警察24時」内にて ゴボウしばきあい対決のみ。
- 以上、現在の対戦成績はモリマンの10戦全勝。山崎は全戦惨敗に終わっている。
- オープニングセレモニーの手順
- 1. コミッショナー・選手入場
- ダウンタウン(コミッショナー) → モリマン(チャンピオン) → 山崎(挑戦者)
- 山崎は入場直後、ワイクルーのような踊りを披露するが、途中でモリ夫が殴りかかる。そして、そのどさくさに紛れて浜田が山崎の髪を引っ張ってリングに叩きつける。
- ちなみに、入場曲はモリマンがクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、山崎がジグソーの「スカイハイ」(2000年までは「ヤマザキ一番」)である。
- 2. マイクパフォーマンス
- 山崎、モリ夫のマイクを使った挑発合戦。山崎は威勢良く「今日こそは絶対お前を倒してやるからな!」と宣言し、モリ夫は山崎の恥部を暴露するのがお約束(「結婚しても風俗に通いつめている」、「レギュラー番組がガキ以外なくなった」、「オリエンタルラジオのネタ帳を盗み見している」)。
- 3. 花束贈呈
- 山崎へ、ゆかりのある人から花束が贈呈される。地元の旧友、お世話になっている(?)風俗嬢など。
- 4. 遠藤斉唱
- 遠藤がブリーフ一丁の姿で「ホホホイ」などハイテンション芸を披露。
- 5. 選手紹介・対決発表
- リングアナウンサー(主に今井良晴)がキャッチフレーズと共に両者を紹介(モリマンはモリ夫と種馬マンとが個別に紹介されることはない。また体重はモリ夫だけのものか二人合わせてのものか明らかにされていない)。
- キャッチフレーズはモリマンの場合「北海のつぶし屋(殺し屋の場合あり)」、山崎の場合は「お笑い視力0.01」、「西宮が生んだ落ちこぼれ芸人(落ちこぼれとっちゃん坊やの場合あり)」など。
- 対決方法を記したパネルが公開され、松本が最初の対決方法を決定する。
- 主な対決方法
- ゴボウしばき合い対決
- 籠を背負い、中に入っているゴボウで殴りあう。他に、ゴボウよりもしなるムチのような効果のある「ネギしばきあい対決」もある。ゴボウで殴られるのはイメージに反してかなり痛いらしく、山崎が最も嫌っている対決である(いわく「ゴボウはただの棒」)。当企画の名物対決であるがこの対決が行われたのは罰ゲームを除いてわずか3回である。「笑ってはいけない警察24時」においては、就寝時の一連のネタの最中でも延々と熟睡し続けていた山崎が、「ゴボウしばきあい対決」のタイトルコールが流されただけで瞬間的に目を覚ましていた。
- 熱々あんかけ対決
- その名の通り鍋に入っている熱された中華あんを掛け合う。観客にも飛散するため、防御用のビニールシートが不可欠。派生種目として「八宝菜対決」「小籠包対決」「おしぼり対決」などがある。
- ハチミツ対決
- 大量のハチミツに互いの顔を沈め合う対決。「何が出るかな?対決」の一部として流用されることがある。
- 何が出るかな?対決
- 中身のわからない箱を開け、中のアイテムを使って闘う。箱にはムチやバレーボールなどの実用的なものだけでなく、お下げのカツラや麦藁帽子などのわけのわからないものも入っている。派生に「夏の風物詩対決」がある。
- ママチャリ対決
- 自転車に乗って追突しあう。対決自体は冴えないが、最中に山崎がギックリ腰を訴えて逃亡したため悪名高い。山崎の逃亡には予定調和も多いのだが、この時はスタッフにも予想外のマジ逃亡だったらしく、VTRやトークで釈明が流れるという異常事態となった。
[編集] さようなら山崎邦正
2001年から毎年3月、春の改編期前に放送される名物ドッキリ企画。
番組は、冒頭から「番組の2回目から出演している山崎が番組を卒業することになった」という暗いトーンで始まる。降板理由を訊かれた山崎は「番組のギャラが、嫁のパートの時給よりも安い」「一日中、子作りに専念したい」などと不可解な返答を繰り返す。その後、山崎が選んだ名場面集ベスト5のVTRが放映され(ナレーションは藤田淑子・近藤サトなど。2002年以降ベスト5内には2001年11月4日放送「山崎・感動の結婚式」や前年放送された「さよなら山崎邦正」が必ずランクインしている)、菅プロデューサーとメンバー4人が次々と山崎に冷たい言葉(「腐ったリンゴは排除しなければならない」「ガキの使いだけでなく、日本テレビとも縁を切ってほしい」「贈る言葉は何もない」「悲しいと言えば嘘になる」「山崎に代わる新レギュラー候補はきく姫、RG」など)をぶつけてゆく花束贈呈が行われた後、山崎が視聴者・ファンにお別れのメッセージを述べるが、ここで山崎は毎年必ず「こんなにたくさんの花束、誰が貰えると思いますか?」と言いながら号泣(する真似を)しつつ、わざと台詞を噛んだり、突拍子もない顔芸をしたりする。その間、メンバーは長時間笑いをこらえている(皮肉なことに、顔を隠して笑いをこらえる彼らの姿は、一見したところでは本当に泣いているようにも見える)。そして山崎はメンバー4人に見送られて退席する。こうして番組に別れを告げた(?)山崎。無事に山崎を見送り、4人も掃けようとすると、突如「待て~い、山ちゃんは~、ガキの使いを~、やめへんで~!」の絶叫と共に山崎のワンマンショーが始まる。ワンマンショーが行われている間、スタッフたちは呆れ顔で山崎を見つめている。
2003年以降、ショーは概ね2ステージ構成で、毎年2つのキャラクターが演じられる。まず第1ステージでは山崎が熱唱。曲のサビを「山ちゃんはガキ使やめへんで」などに替えて歌う。セットチェンジと衣装替えを行う幕間には、4人にジュースとおしぼりのサービスが行われる(サービスは、バニーガールもしくはメイド服姿の女性がぶっきら棒な仕草で行うが、2005年から2006年までの間はOA上はほぼカットされており、2007年には普通に出てきて「山崎からさんです」と噛み噛みで答えた)。第2ステージでは映画のキャラクターなどを演じ、台詞の合間に「山ちゃん、やめへんで」などとお決まりのフレーズが入る。2001年と2002年のステージでは「やめへんでガールズ」という、無表情のバックダンサーが付いていた。
この企画は第1回こそ視聴者へのドッキリとして成立していたものの、以降は予定調和で、毎年ほぼ全く同じパターンで台本が仕込まれている。悪乗りした視聴者から放送後に「本当にやめろ」という葉書が大量に届くのも慣例となっている(それ込みで面白いという意見も)。なおスタッフの間では「その時期(3月)が近付くと、どうしても(反射的に)やりたくなっちゃう企画」と愛されており、一種カルト的な人気がある。
- 2001年3月18日(リッキー・マーティン「Livin' La Vida Loca」)
- 2002年3月24日(氷川きよし「きよしのズンドコ節」)
- 2003年3月9日(1.中島みゆき「地上の星」、2.NOVAうさぎの唄)
- 2004年3月21日(1.森山直太朗「さくら(独唱)」、2.ケチャックダンス)
- 2005年3月20日(1.ディレクターコム(小紫弘三)とトラジ・ハイジ「ファンタスティポ」、2.「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラム=後に「ヤマラム」として企画化)
- 2006年3月5日(1.一青窈「もらい泣き」、2.「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士)
- 2007年3月18日(1.ディレクターコム(小紫弘三)とmihimaru GT「気分上々↑↑」、2.「ロッキー」のロッキー・バルボア)
余談だが、後述する「七変化」のニセ企画会議では、企画案が記されたホワイトボードに「さよなら山崎邦正(本当に)」と書かれていることがある。またこの企画の放映前後、山崎は何故か遠藤に対して妙に優しくなる傾向がある(「これやってみたかってん」で遠藤を過剰に褒めちぎる、「クイズ浜田の500のコト」で遠藤が誤字を書いたのを「かわいい」と口走る、など)。
[編集] 芸能人釣り選手権
毎年7月頃に放映(2005年は11月放送)。2006年で12回目となる長寿企画。河口湖で、芸能界各界から集まった釣り好き達がバスフィッシングの腕前を競い合う。判定は釣った魚の体長で行う。糸井重里、浅野忠信、江口洋介、奥田民生、加藤晴彦らがレギュラー出場者。尚、糸井はゲストの人選など企画プロデュースの一部にも参加している。当初、MCは山崎が担当していたが、ココリコがレギュラーとなってからは毎回MCを担当している。
オープニングではメンバーの意気込みを聞く他、アフリカ中央テレビによる取材も行われ、メンバーはディレクター(クレイグ・ナイン)が出す指示によっていじり倒される。開会宣言は田中が務めるが、ここで田中は毒舌キャラを発揮。出演者を「B級コメディアンに、B級俳優、B級ミュージシャンに、C級コピーライター!!」などと罵倒する。他のメンバーはB級だが、糸井だけはただ一人、毎年C級扱い。更に「お前もうD級寸前だぞ!!」「お前、オッサンとしてもC級やぞ!!」などと毒づかれるのが恒例となっている。
また加藤は2005年以降、何故かこの企画のいじられ役と化してしまった。2005年、加藤は「ウエンツ瑛士とキャラがかぶる」と周囲から評され、挙げ句に「来年からは晴彦に代わってウエンツがレギュラーです」と再三いじられると、加藤は浜田に土下座してレギュラー残留を嘆願。更に2006年のエンディングでは、締めコメントの収録中にガキメンバーから「来年は晴彦がMCです」と言われるたびに再三フレームインして邪魔しまくり、最後は浜田に「晴彦、サイテーや!!」とキレられてしまった。
2005年は、江口が夏に映画・ドラマの撮影等でスケジュールが埋まっていたため、11月に開催時期をずらしたものの、肝心の江口のスケジュールが合わず、結局参加を断念。スタッフに「これでフェードアウトか?! 残念・・・」としたためた色紙を託した。
差し入れタイムでは、毎回有名人(?)が登場。「ダウンタウンルアータイム」では、制限時間内に番組オリジナルのダウンタウンルアーで釣り上げた選手に賞金10万円を贈呈。ルアーのプレゼンターはヘイポー。メンバーや旬の話題に因んだコスプレで現れるが、毎回湖に落水してはパニック状態に陥っている。尚、参加者には参加賞として、オリジナルの「ガキバス順位Tシャツ」(順位に応じて数字がプリントされている)が進呈される。
- 過去の芸能人釣り選手権
- 1. 1995年6月4日 ダウンタウン世界を釣る 幻のブラックバスに挑戦!
- ゲスト:糸井重里
- 優勝者:松本
- 2. 1996年7月7日 第2回芸能人釣り選手権(以降タイトルは固定)
- ゲスト:糸井、奥田民生、江口洋介、宮田和弥
- 優勝者:松本
- 3. 1997年5月25日 第3回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、徳永英明
- 優勝者:糸井
- 4. 1998年7月6日 第4回
- ゲスト:糸井、奥田、江口 他
- 優勝者:浜田
- 5. 1999年7月4日 第5回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、加藤晴彦 他
- 優勝者:加藤
- 6. 2000年6月18日 第6回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、加藤、吉井和哉
- 優勝者:奥田
- 7. 2001年7月1日 第7回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、加藤、吉井
- 優勝者:松本
- 8. 2002年6月30日・7月7日 第8回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、加藤、松岡充、浅野忠信
- 優勝者:奥田
- 9. 2003年7月6日・13日 第9回
- 10. 2004年7月18日・25日 第10回
- ゲスト:糸井、奥田、江口、加藤、玉山、中村獅童 (2代目)
- 優勝者:浜田
- 11. 2005年11月6日・13日 第11回
- 12. 2006年6月25日・7月2日 第12回
- ゲスト:糸井、奥田、加藤、浅野、須藤元気
- 優勝者:奥田
- この年の釣り選手権は「山ちゃんが映ると(視聴率の)分計の落ち方が凄い」という菅の指摘で、急遽ココリコが釣りに参戦、山崎がMCに回る事に。山崎は甲冑男、レクター、美輪明宏、アラレちゃんなど、過去に自ら演じたキャラクターで番組の折々に登場した(実は「急遽」ではなく、予定調和。山崎のキャラはこの他に3ポーズ用意されていたが、雨天の為取りやめになった)。
[編集] 七変化
不定期で放映。ダミーの企画会議が行われている中、仕掛人が7回変装をし、会議の出席者を何回笑わせることができるかを競う。笑ってしまった人は1回につき罰金1,000円を徴収(罰金は愛の小鳩事業団に寄附)。会議の出席者はガキメンバー5人とスタッフ等の計12人(挑戦者がコンビ芸人の場合は、相方が会議に参加)で、仮にパーフェクトが出た場合、募金額は84,000円になる。初期は計10人で最高額70,000円。
また、「企画会議」という設定の下で行われる企画とあって、浜田の席の後方に置かれたホワイトボードには、ガキメンバーやスタッフを主演とした数々の企画案が列挙されている。そこに記された内容のナンセンスぶりも、一部ファンの間で人気が高い。また、このダミー企画が実際に企画として実行に移されるケースもごく稀にある(例:ヘイポー、ニューハーフになる!!=2005年10月30日)。
この企画の発端は、1995年10月15日放送のスペシャルのエンディングで放映された、松本が番組会議中に突然様々な変装を意味もなく始めるというもの。会議をやっているという厳粛な雰囲気の中で、どこまで笑わずにいられるかというシュールなムードが好評だったため、以降、定番企画となっている。
厳密なルールはないが、一応企画会議をしている設定だが変化をする者が変化を終えて部屋から出た直後は素に戻って話しても良い。この間、罰金の支払いや直前の変化に対するツッコミをみんなで入れたりする。
- 歴代の出演者および募金額
- 次長課長・河本準一 (2005年4月17日) ¥63,000
- ボブ・サップ (2002年11月24日) ¥53,000
- 構成作家・竜泉(堀部圭亮) (1999年11月7日) ¥44,000
- 千原兄弟・千原靖史 (2004年11月7日) ¥43,000
- ココリコ・田中直樹 (1997年9月28日) ¥40,000
- くりぃむしちゅー・有田哲平 (2004年2月15日) ¥38,000
- フットボールアワー・後藤輝基 (2006年4月2日) ¥38,000
- 腰フリおばちゃん (1997年11月23日) ¥37,000
- FUJIWARA・藤本敏史 (2007年2月25日) ¥35,000
- フットボールアワー・岩尾望(2006年2月5日) ¥33,000
- ふかわりょう (2002年9月8日) ¥31,000
- 大友有一ディレクター (1997年6月8日) ¥29,000
- 木村祐一 (2002年2月17日) ¥27,000
- 雨上がり決死隊・宮迫博之 (1999年5月16日) ¥26,000
- 千原兄弟・千原ジュニア (2004年12月12日) ¥26,000
- 磯俣拓生マネージャー (1996年9月29日) ¥25,000
- 雨上がり決死隊・蛍原徹 (1999年3月14日) ¥19,000
- ココリコ・遠藤章造 (1997年9月21日) ¥16,000
- 菅賢治プロデューサー (1995年11月26日) ¥14,000
- 品川庄司・品川祐 (2003年10月19日) ¥12,000
- ジャリズム・山下しげのり (2001年6月17日) ¥11,000
- 山崎邦正 (1995年11月5日) ¥10,000
- 堤本幸男ディレクター (1996年3月3日) ¥10,000
- 中村喜伸プロデューサー (1996年6月9日) ¥9,000
- 構成作家・高須光聖 (1997年2月2日) ¥7,000
- シリーズ化の発端となった前述の松本七変化(当時は「七変化」という正式タイトルはなし)では採点制が導入されていない。
- また松本のプロデュースによる、おばちゃんとボブ・サップは番外編として順位に含まれないことがあった。この他番外編として板尾シリーズの「板尾勝手に七変化」(2000年3月12日)、「さぶさぶ作家鈴木一変化」、「ヘイポーホラー七変化」(2006年9月10日)もある。
- 開始初期は顔がにやけても罰金にはならず、現在と比べて基準はあまかった。また参加人数も現在より少なかったため、総じて初期の挑戦者は獲得金額が低い。このためこのランキングが必ずしも面白さの高低を反映している訳ではない。
[編集] 大喜利大合戦
2004年まで、年に1~2度放映された(不定期)。浜田を司会に、レギュラーメンバー5人と雨上がり決死隊が「あたかも読書」「おぼえてつなげてダンシング」「ヘッドホン伝言ゲーム」「黒ヒゲしりとりキック一発」などで競う。ゲームによっては、敗者が「チ○コマシーン」「キ○タマシーン」「○○でドーン!!(ストーンウォッシュ、ヌーブラなど)」などの罰ゲームを受ける。大喜利とは名ばかりで罰を受ける者を決めるだけの単純なゲームもある。過去にはジミー大西、ガッツ石松、志茂田景樹、城南電機・宮路社長なども出演。「古今東西お股にもんまり!」などの名物コーナーが人気だった。しかし「大喜利」という企画名と、リアクション要素の強いコーナー内容との間の整合性が取れなくなったことから、「対決しまっしょい!」に引き継がれる形で発展的解消を遂げた。
しかし大喜利はダミー企画として、他の企画でしばしば利用される。
- 「山ちゃんイメージアップ大喜利」は、山崎の言った事にしか笑わない客の前で、山崎の書いた台本通りに大喜利を進めるというもの。とにかく山崎の冴えないギャグにも客が爆笑するため、非常に不条理な空間が演出される。ダウンタウンがサクラに冷たくあしらわれる様も笑いを誘った。その一方、一部の視聴者が、山崎の芸(企画の性質上、つまらないギャグばかり)に「本当につまらない」とクレームを付けたり、「ダウンタウンが不当な扱いを受けており、不快」と批判を寄せたりと、物議を醸した。なお、この面白くないことでわざと爆笑し、メインの演者を軽々しく扱ってギャップを楽しむという手法は、後に「WORLD DOWNTOWN」(フジテレビ系)で開花することとなる。
- ニセ韓流スターのウ・ソンビン(素人の中年男性)を招き、彼のファン層である中年女性達の前で大喜利を敢行(2005年5月29日)。冴えないウがスター扱いを受け、ガキメンバーが徹底的に冷遇されるという、「山ちゃんイメージアップ大喜利」と全く同じコンセプト。ウがひと言ふた言放つたびに女性達はいちいち歓声を上げるが、浜田がウに突っ込んだり、山崎がウとのゲーム対決で勝利したりすると、その都度怒号が飛んだ。そして最後はウの熱唱に、女性達が恍惚の表情を浮かべた。当時の韓国ブームを皮肉ったものとも言われるが、企画の真意は定かではない。
余談だが、チ○コマシーンはアメリカNBCの番組で「THE PAIN GAME」として紹介されたことがある。
[編集] 対決しまっしょい
大喜利(上記)が、徐々にリアクションの要素が強いコーナー企画が大勢を占めるようになり、タイトルとコーナー内容の整合性のなさに疑問の声が上がるようになったことから、大喜利とゲームを組み合わせたチーム対戦形式の企画にリニューアルされた。
第1・2回はガキメンバーとゲスト5人が浜田・松本の2チームに分かれて対戦。第3回はガキメンバー5人によるチームと元吉本印天然素材チームによる対戦が行われた。
1対1の対戦形式のゲーム「タイマンしまっしょい!!」の敗者に対する罰ゲーム「○○でドーン!!」では、浜田と宮迫博之がドSぶりを遺憾なく発揮する。恒例コーナー「お絵描きしまっしょい!!」では浜田と蛍原徹による“バカ画伯対決”が見もの。
- 2005年1月16・23日 浜田vs松本:ゲスト=雨上がり決死隊、品川庄司、山田花子
- 2005年9月18・25日 浜田vs松本:ゲスト=雨上がり決死隊、品川庄司、ほっしゃん。
- 2006年1月8・15・22日 ガキの使いチームvs元天然素材チーム:ゲスト=雨上がり決死隊、FUJIWARA・ほっしゃん。
- 2006年11月19・26日 ガキの使いチームvs元天然素材チーム:ゲスト=雨上がり決死隊、FUJIWARA・ほっしゃん。
[編集] おもしろVTRベスト10
年初あるいは年末に放送される総集編。1年間の印象深かった企画をVTRで振り返る。元ダウンタウンマネージャーの藤原寛(ルミネtheよしもとP、ファンダンゴCPを経て、現在は番組・ソフトウェア担当P)が総合司会を務めるが、藤原はその年の出来事やブームに因んだコスプレで司会に臨んでいる。また1998年から9年連続で司会を務めているが、松本らメンバーからは毎年のように「(司会を)ライセンスの藤原にやらせてやったらいいのに」「偉くなったのに、まだやりますか?」などとツッコまれ、また登場の際のネタがスベると「ここまで笑われない筋合いもないぐらい、笑われなかったですねぇ」などといじられている。
[編集] ガキの使い大新年会
番組レギュラー、スタッフの他に、雨上がり決死隊、山下しげのり、品川庄司ら番組出演頻度の高い芸人、更には「今夜が山田」や、腰振りおばちゃんも招かれて毎年一回目の収録に行われる新年会。1998年から開始。
後半は抽選で決めた即興コンビが漫才を披露していた。局部を露出するなど下ネタが恒例となっていたが、地方局の放送打ち切りなどを受けてか、2004年には下ネタ禁止令が出された。また、抽選で選ばれるコンビのメンバーにはガキメンバーの5人が必ず入る。余りにもネタが寒いものになると「芸人の名誉のためこれ以上お見せできません」とテロップが表示され、カットされることも。2005年からは行われていない。
収録は、毎年東京都渋谷区幡ヶ谷の料理屋で、1階と2階全フロアの全部屋を借り切って行われている。
2005年と2006年は一流マジシャンによるマジックと、小笠原まさやによるガキメンバー5人の1年間の運勢を占う占いが行われた。同年、小笠原は「松本さんに下半身の病気が再発する」と予測したところ、松本は秋にイボ痔を発症し、見事的中した。
2007年は若手芸人(ピン芸人が多い)16組による「山崎プレゼンツ 山-1グランプリ」が行われた。これは芸人がネタを披露した後に山崎の独断で20点満点で評価し、15点以上だと合格、番組に出演できるというものだが(番組曰く「山崎による若手救済の為の大会」らしい)、ココリコが「(山崎に)そんな権限あるんですか?」と問うと、菅プロデューサーは山崎を指して「一人欠員出ますんで大丈夫です!」と言い放った。優勝者は女性ピン芸人のにしおかすみこで、山崎を模った優勝トロフィーと、副賞として彦根プリンスホテルの宿泊権利が贈られたが、松本からは「何があんねん!何も無いぞ、そんな所(彦根)に!」と突っ込まれていた。
[編集] ききシリーズ
不定期で放映。「このひと口に命をかけろ」をキャッチフレーズに行われる、きき味企画。最初に目隠しをして味見をしたアイテムを元に、12~20種類の中から正解を探り当てる。正解者には賞金10万円進呈。(タバコの回のみ20万円)しかし、不正解の場合はキツい罰ゲームが待っている。
味見の結果、自分が最初に味見したアイテムでないと思う物をクリアする際には「私が食べたのは、○○○ではございません」と宣言してパッケージをゴミ箱へ捨ててゆく。正解の場合はチャイムが鳴り、引き続きゲームを続けることができる。また、正解と思ったアイテムが見付かった際にはステージ中央のお立ち台に立ち、パッケージを手にして「私が食べたのは、○○○です」とコールする。正解した場合はその場で中村・小林両プロデューサー(両名はプロデューサーダンサーズとして、何らかのコスプレで登場する)から賞金目録が贈呈される。しかし、不正解の場合はブザーが鳴り、ステージ中央で外国人のビンタやヌンチャク、乳吸いマシーン等による攻撃や、チ○コマシーンなどによるキツい罰ゲームを受ける羽目になってしまう。
ルールは厳しく、一度味見したアイテムは戻すことができない上、複数のアイテムを同時に味見することもできない。このため、一度手にしたアイテムは必ずクリアするか、もしくはコールするかのどちらかとなる。更に、仮にアイテムをクリアし続けて最後の2択になった場合は、片方のアイテムの味のみを頼りに正解をコールしなければならない。このため、挑戦するガキメンバー5人は各自の味覚と記憶力が問われる上、運も大きく左右する。また浜田は毎回のように答えに窮しては、他の4人に脅しを掛けて無理矢理答えを聞き出そうとし、遠藤は相方である田中の質問を無視することが多い。
尚、ゴミ箱に捨てるアイテムのパッケージは、当初は食品が残存したままの状態のものを使用しており、これを思い切りゴミ箱に叩き付けるように捨てるのがパフォーマンスの一環でもあった(特に浜田)。これに対して視聴者から「もったいない」などとクレームが付いた事から、「チョコレート」の回から空き容器を捨てるように改められた。さらに「叩き付けるように捨てるのは行儀が悪い」と再度クレームが付いたため、「みそ汁」の回からは捨てる際のオーバーアクションは自粛され、「マヨネーズ」の回からはより丁寧にゴミ箱へ捨てるようにしている。
企画化の発端は松本のひと言。ある日「俺はインスタントラーメンの味が全部分かる。目を閉じて食っても銘柄は全部当てることができる」と豪語したのをきっかけに企画が立ち上がり、松本がききラーメンに挑戦した(1998年2月8日放送)。ところが、これが全くのデタラメ。最後はみそとしょうゆの味まで間違える体たらくぶりで、正解数は30種類中8種類だったが、「他の食べ物を使って、メンバーみんなでやってみたら面白い」というスタッフの意見から、翌年秋に現在のスタイルでスタートした。
どちらかというと玄人ウケする企画が多い「ガキ」にあって、この企画は明快なルールとリアクションの分かりやすさからか、幅広い層から好評を得ており、スタッフルームには時折年配者からも「ききシリーズは面白い」などといった賞賛の意見も寄せられるという。
- 過去のテーマ食品と正解者と罰
※正解者の記入がない回は、正解者なし
- 1999年11月14日 きき缶コーヒー 罰 ビンタ(ブラジル人)
- 1999年12月19日 ききお茶 正解:浜田・遠藤(※山崎、田中) 罰 ビンタ
- 2000年1月30日 ききタバコ 正解:松本 罰 ビンタ
- 2000年4月23日 ききカレー 罰 ビンタ(インド人)
- 2000年8月13日 ききビール 罰 ビンタ(ドイツ人)
- 2000年11月12日 きき焼きそば 罰 チ○コマシーン
- 2001年3月11日 きき食パン 正解:浜田 罰 タライ
- 2001年6月24日 きき歯みがき粉 正解:松本・浜田・山崎 罰 ケツ竹刀マシーン
- 2001年11月11日 きき肉まん 罰 ヌンチャクによる殴打
- 2002年3月17日 ききプリン 正解:松本・浜田・田中 罰 シャンパンのふた
- 2002年7月21日 ききインスタントご飯 罰 けつしゃもじマシーン
- 2003年2月2日 ききヨーグルト 罰 牛乳ビン型ヌンチャクによる殴打
- 2003年5月4日 ききチョコレート 罰 ケツ吹き矢
- 2003年10月12日 ききオレンジジュース 罰 キン○マシーン
- 2004年5月9日 ききインスタントみそ汁 正解:山崎 罰 おばちゃん1号によるキス
- 2004年8月8日 ききレモンティー 正解:遠藤 罰 熱したティーパックを顔に押し付ける
- 2005年4月10日 ききマヨネーズ 正解:遠藤 罰 マヨネーズ型ヌンチャクによる殴打
- 2005年10月16日 きき焼肉のたれ 正解:松本 罰 乳吸いマシーン
- 2006年5月28日 きき牛乳 罰 牛乳パック型ヌンチャクによる殴打
- 2007年3月11日 きき烏龍茶 正解:遠藤 罰 トンファーによる殴打
※第2回の「お茶」は浜田、遠藤を除く3人は一度不正解になっている。その後3人がチームを組んでリベンジ。3人の協力体制もあってか順調に進み、最後の2択になって意見が分かれ、結局松本1人だけが不正解となった。
※山崎はこの「ききシリーズ」では幾度となく恐ろしいまでの天然ぶりを発揮している。「ききビール」ではバドワイザーを味見してクリアしようとした際、何故か「僕はアメリカ・バドワイザーではございません」と不可解な台詞を口走り、結果不正解となりドイツ人のハードなビンタを食らうや、声を張り上げて大号泣。また「ききカレー」では罰である強烈なビンタを食らって吹っ飛んでしまい、大泣きすることに。同じくビンタを食らった松本曰く、「脳が揺れた」ほどの強烈さだったとか。さらに「ききオレンジジュース」では、試飲の際気管に入って噎せ返り、臭いを嗅ごうとして鼻が詰まっていて嗅げず、さらには酔ったような仕草をしたり、後ろのパネルに描かれたベンチに肘を付こうとしたり、一発目に正解を引いて悩み、クリアしようとして台詞を噛み、挙げ句に不正解・・・と、笑いの神を降臨させまくった。いずれも後に「さよなら山崎邦正」の名場面ベスト5に選ばれている。
[編集] これやってみたかってん! 絶対においしい○○選手権
2003年から不定期に9回放映。自分が“これは絶対に美味しい”と思う食材を使ってテーマの料理を調理し、実際に試食し採点する。企画コンセプトは「食える闇鍋」。組み合わせには当たり外れがあるのを覚悟しつつ、美味い物ができるかどうかを探ってゆく。
毎回「炊き込みご飯」「ピザ」「たい焼き」といったテーマの料理を決め、ガキメンバー5人が各自2品(松本のみ「僕はみんなと違って偉いので」3品)の食材を使って全く新しい味を提案する。評価は試食の際の合議によって決められ、基本は星1~10個の10段階。10段階の範疇を越える場合、食用に耐えないものにはドクロマーク、この上なく美味なものには天使マークが与えられる。
思いもよらない食材を使う上、塩加減など料理の基本を無視しているため、試食ではほとんどの品が「不味い」と評価されるが、中には全員が絶賛する美味料理も生まれている。遠藤は食材の2品目にフリスク、松本は毎回3品目にゲテモノなど、出オチ食材(しかもかなり高級なもの)を使用するのが恒例となっている。ゲテモノ食材が使われた料理が出た際、何らかの原因でメンバーが食べられない場合(見た目がひど過ぎる、異臭を発している等)はヘイポーが毒味役として駆り出される。また、松本の出オチ食材でさえも文句なく食べるザ・ちゃらんぽらんの藤原一裕が「バキューム」と称されている。
試食の際、一番まずそうな部分を浜田に取り分けるのがお約束になっていたり、山崎は評価の基準が奇抜(何でも美味いと言う、と揶揄される時もある一方で、点数付けを任されると話し合いを無視して低く付ける)などの傾向がある。
- 過去のテーマ料理と主な結果
- 1. 2003年7月20日 炊き込みご飯(1回目)
- 松本「いちごケーキ」=0点、田中「ビールと枝豆」=8点(後に評価上昇傾向)、浜田「お好み焼き」=8点
- 田中の「ビールと枝豆」は、記念すべき最初の試食。そのためか評価はやや抑え気味な8点になったが、全品試食後と第2弾のピザのオープニングで再度絶賛されており、実質的に10点満点に限りなく近い評価と言えるであろう。
- 松本の2品目「いちごケーキ」=この時点では出オチという扱いはなかったが、ひどい出来栄えで松本もうっかり吐き出してしまうほどであった。
- 2. 2004年2月22日 ピザ
- この回からドクロマークが登場。
- 遠藤「フリスク」=ドクロ、松本「ブタの顔」=ドクロ2個、松本「ごはんですよ」=10点満点
- 松本の「ブタの顔」は焼き上がりに成功したものの、見た目は酷いもので、しかも生焼けだったせいか、ピザカッターでも切るのが困難だった。もちろん味も酷いもので、メンバーからはブーイングが起こっていた。
- 松本の出オチ食材「マグロのカマ」=まさしくフタを開けた瞬間のインパクトのみ。生臭いだけで手を付ける者もなく、松本の「どうもありがとうございました~!」という号令で収録を強制終了するオチに至った。
- 3. 2004年7月27日 たい焼き
- 遠藤「フリスク」=ドクロ、松本「サザエの肝」=ドクロ2個、浜田「餅」=0点、田中「ポテトサラダ」=9点
- 遠藤の「エビチリ」は具材の中の緑の物(恐らくいんげんと思われる。松本いわく「緑のは海老の一部か?」)を入れるか入れないかで口論となり、しつこく「入れるな」と抗議していた浜田に対し、「もう黙っとけよお前」と一喝。後の浜田の「餅」に対し、「これたい焼きか?」と遠藤が疑問に思うと浜田はついに怒りの鉄拳を頭にかました。
- 浜田の「餅」は生地を流さず、餅をたい焼き風にして焼くというもの。味も評判も良かったが、たい焼きとは認められず0点に終わってしまった。
- 松本の「サザエの肝」は“大人の味”がテーマ。敢えて身の部分ではなく、苦味のある肝の部分を使用した。ところが見た目が悪い上、臭いも味も悪かったため、メンバーからは「10点あげるから食べなくていいですか?」などとブーイングが上がった。
- 松本の3品目「具なしたい焼き」=この回は出オチ扱いなし。具の入っていないたい焼きを鯛の刺身に見立てて、活作りのようにして食べるというコンセプトだったが、評価のしようがなく僅か1点に終わった。
- ちなみにこの回のみ山崎も3品だった。(プチトマト、おにぎり、フランクフルト)。特に「おにぎり」はたい焼き器の中央部におにぎりを設置し頭としっぽの部分にのみ生地を流すという斬新なものだった。しかし海苔が巻かれていたため見た目が悪く、「鯛が革ジャンかぶってるみたい」などといわれ味も普通のおにぎりだったため、評価は低かった。
- 4. 2004年10月3日 茶わん蒸し
- 田中「ワインとチーズ」、遠藤「フリスク」、山崎「クリームソーダ」=ドクロ、松本「モンブラン」=10点満点
- 松本の出オチ食材「豚足」=表面から豚足が突き出た、見るも無惨な出来上がりに。無論誰も手を付けることはできず、松本の「既に豚の手が出ているから、手を出せないんやな?」のひと言でオチ(実際には、豚の「手」ではなく「足」なのだが)。
- 5. 2004年11月28日 炊き込みご飯(2回目)
- 田中「ぶどうとシャンパン」=ドクロ、浜田「マグロの山かけ」=8点
- 松本の出オチ食材「熊の手と焼酎」=この回は松本も2品のみ。1つ7万円もする熊の手を焼酎と一緒にそのまま炊き上げたもの。炊き上がったものの、熊の手はほとんど形を変えぬまま。ヘイポーに熊の手が染み込んだご飯のみを毒味させたところ、焼酎のアルコール臭と熊の手の臭いがあいまって、思い切りえづいてしまった。
- 今回ばかりは分量に無理があるのか、遠藤はフリスクを使わなかった。
- 6. 2005年6月5日 お餅 ※2006年3月26日、一部地域で再放送
- 田中「ピータン」=ドクロ、浜田「刺身盛り合わせ」=ドクロ2個、田中「わんこそば」=8点
- 恒例、遠藤の「フリスク」は2点という評価。唯一ドクロを回避した。
- 浜田の「刺身盛り合わせ」は、餅の中にツマや大葉、果ては飾りのタンポポの花までつき込んでしまうという代物。生臭い異臭(刺身の臭いと醤油の臭い)が漂う最悪の出来で、試食の間はメンバー全員がブーイング。ヘイポーに毒味させたところ思い切りえづいた上、半ベソで「(アリかナシかで言うと)ないないない~!」と絶叫した。
- 松本の出オチ食材「ウェディングケーキ」=ケーキの最上段にある新郎新婦のマジパン細工もまとめて餅につき込んでしまう、豪快な一品。クリームとの相性もよく、出オチでは異例の10点満点を獲得した。松本は「俺の結婚式はコレでいくわ!」と宣言。
- 7. 2005年12月4日 天ぷら
- この回から天使マークが登場。
- 遠藤「フリスク」=ドクロ、浜田「食パンとコーンポタージュ」=天使、松本「ピザ」=10点満点
- 浜田の「食パンとコーンポタージュ」は、食パンを、衣の代わりにコーンポタージュに浸して揚げたもの。あまりの美味さに、松本は口にして数秒後に「10点でいいんじゃないですか?」とコメントした。
- 松本の出オチ食材「蜂の巣」=切り口から蜂の子が出てくるという、見た目は凄惨なもの。ジャンケンの結果、浜田が強制的に食べさせられるがギブアップ。毒味役のヘイポーもギブアップだったが、蜂の子単体が美味であると知ると、つまみ出して美味しそうに食べていた。
- 8. 2006年3月12日 たこ焼き
- 9. 2006年12月10日 鍋
- この回は全員1品のみ(松本は2品)
- 山崎「USA」=ドクロ、田中「沖縄」=7点
- 遠藤の「フルコース鍋」はフランス料理を鍋にし、具をワイングラスに入れて食べるという変わったもの。評判はまあまあ良かったが、どう考えても普通にフランス料理を食べた方がいいという理由により評価は4点になった。
- 浜田の「大阪鍋」は、松本が8点、ココリコの2人が10点満点の評価を付けるも、松本に最終評価を任された山崎はこれらの評価を無視し6点にしてしまい、直後に浜田に殴られた。
- 松本の出オチ食材「スッポン、コブラ、鹿の睾丸」=名前は精力鍋。一式10万円する代物で、前回と同じく睾丸に対してモザイク処理が施される。煮る前から匂いが充満していたが、煮た後はくさみが取れたようでメンバーも食べていた。「体の中がカ~ッとする」出来だったらしい。
[編集] ガキの使い裁判
出演者・スタッフらの、日頃の行いのあさましさを裁判形式で暴き出す。
裁判長はスタッフの代表が担当。検事は浜田(「浜田雅功考えられへん!裁判」の時は遠藤)、陪審員は松本、山崎、田中、遠藤(陪審員達は入廷の際、怒りに満ちた表情をデフォルメした顔芸をしながら登場する。この顔芸に対して浜田が『陪審員は中立な立場じゃないのか?』と、ポツンとツッコんだことがある)。他に証人としてスタッフやゲストが参加する。収録形式は、被告人がガキメンバーの場合は公開収録、スタッフの場合は非公開となる。罪状は過去のVTRや再現イラスト(画・安居院一展)によって公開され、被告人は検事・陪審員に追い詰められてゆく。そして陪審員の裁定により、有罪となった被告人は刑(罰ゲーム)を受ける。尚、被告に弁護人は付かないため、過去に無罪となった例は一度もなく(むしろそれ以前の問題で、罪の内容は余りにも凄惨?で無罪にし難いものがある)、被告人は裁判に掛けられた以上は必ず罰ゲームを受ける運命にある。
中でも過去5回という突出した開廷回数を誇るのが「ヘイポーうすっぺら裁判」。再現イラストによるVTRのナレーションでは平島泰憲(日本テレビエンタープライズ・ディレクター)がヘイポー役を務めるが、そのモノマネの激似ぶりは本人をも凌駕するほど。また、証言の場において菅をはじめスタッフのほとんどがヘイポーの物真似をする(松本をして「これが出来なければスタッフになれないのか?」とも言わしめた)そしてスタッフらの証言によって日頃のビッグマウスぶりとビビりぶりの数々が暴露されてゆくが、ヘイポーはその都度いちいち居直っては検事・陪審員の失笑を買っている。そして罰ゲームでは、ヘイポーが大の苦手とするオバケやホラー映画を駆使したキツい刑が執行される。
松本セコセコ裁判の刑は、自費で100万円をパーッと使うということで、100万円分の打ち上げ花火を購入して約500人の観客を入れて花火を打ち上げるというもの。しかし、100万円では諸経費も含めるとたった1発分にしかならず、散々待たされた挙げ句に花火一発で終了という事態に、客からは猛烈なブーイングが起こっていた。刑を受けた松本の「結局、僕らのやった事は、お客さんの怒りの導火線に火を点けただけ・・。」というオチをつけて終了。
- 過去の裁判及び判決
- 1998年9月6日 大沼ドケチ裁判(第1回)=原宿・表参道でジェニジェニダンスの刑。しかし、放送後に視聴者から「刑が軽過ぎる」という苦情が殺到したため、更なる重刑として10月4日に大沼の宝物(Bell & RossとSinn社のダブルネームモデルの腕時計)川流しの刑を再執行し、大沼本人も川に流されるハメに
- 1999年3月21日 大沼ドケチ裁判(第2回)=有罪判決のみ
- 1999年8月29日 ヘイポーうすっぺら裁判(第1回)=腰フリおばちゃんビンタの刑
- 1999年11月21・28日、12月5日 山崎邦正スケールが小さい裁判=深夜の廃校でひとりぼっちのピアノコンサートの刑
- 2000年2月20日 ヘイポーうすっぺら裁判(第2回)=人間ロケット東京巡りの刑
- 2000年5月7日 大沼ドケチ裁判(第3回)=東京23区インド人ビンタの刑
- 2000年11月19・26日、12月3日 おちょこ松本セコセコ裁判=セコセコ貯めた100万円をパーッと使うの刑
- 2003年2月23日・3月2日 ヘイポーうすっぺら裁判(第3回)=人間ブレーカーの刑
- 2004年10月31日 ヘイポーうすっぺら裁判(第4回)=ひとりぼっちでホラー映画(呪怨2)の刑
- 2005年8月7日 ヘイポーうすっぺら裁判(第5回)=超至近距離でホラー映画(着信アリ2)の刑
- 2006年2月12・19・26日 浜田雅功考えられへん!裁判=オエッで『かえるのうた』&『ドレミの歌』合唱の刑
尚、現在のスタイルになる以前には和田アキ子が「男疑惑」、梅宮辰夫が「ヅラ疑惑」、浜田が「整形疑惑」で裁かれた。無論3件ともネタに過ぎないものの、いずれも死刑判決が下された。
[編集] 板尾シリーズ
年に数回、不定期に放映。明確なタイトルはなく、単に「板尾いちゃもんシリーズ」或いは「板尾現る!」「板尾ゼニゲバシリーズ」などとも呼ばれる。
板尾シリーズの第1回は1999年2月7日の「板尾が見てる!」。ダミーロケの途中で板尾創路が乱入してロケを邪魔し、何かにつけて「カメラに見切れた」と主張しては、繰り返し菅にギャラを要求するというストーリー。2回目以降、「もちろんそうよ」しか言わない日系ブラジル人の嫁と娘(無論、2人とも架空)が登場し、ビンゴ大会に乱入したり、「モリマンvs.山崎」を「板尾vs嫁」にしたり、「七変化」を勝手にマネして金を巻き上げるなどエスカレートした。あげくには「嫁をレギュラーにしろ」「出産祝いをよこせ」など露骨にいちゃもんをつけ、金を要求した。ガキの使いメンバーによって板尾を尾行したこともあり、街の人々を騙して金を巻き上げ、インチキ外国人マフィアに金を上納している事が判明した。
2004年2月8日の「板尾の移動販売」で登場した現在の嫁は、マドンナの『Material Girl』に乗せて珍妙なダンスを披露しメンバーを爆笑させた。その後2005年7月10日放送の「板尾と嫁のクイズイッツジーイッツジー」では新たな決め台詞「その発想はなかったわ!」で爆笑を誘った他、同年10月4日放送の罰ゲームスペシャルでも『Material Girl』『Like A Virgin』更にはアイリーン・キャラ『What A Feeling』(映画、「フラッシュダンス」のテーマ曲)にのせて奇怪なダンスを繰り広げて「マテリアルガール」の異名を取り、松本が「スペシャルのMVP」と讃えた程。嫁・娘とも数回代替わりしており、現在の娘は「紗理奈」。
企画の発端は菅の実体験による。番組でロケをした際、たまたま現場を見物に来ていた近所に住む某大御所タレントが「俺が黒子的に見切れて、昔のギャグを言ったらバッチリウケるよ」と豪語して、その場で執拗に出演を迫ったことがある(結局その際は丁重に断ったそうだが)。打ち合わせ会議でそれを聞いた松本は大爆笑。このシチュエーションをいたく気に入り、これが先の第1回の台本の原案となった。
こうして数回に亘って放映され、シリーズ化される程の人気企画となった板尾シリーズだが、これらは全て台本に沿ってストーリーが創られたもの、つまり「コント」である。一時期は最後に「この企画はフィクションです」とテロップが入っていた事があるが、特にその主旨の説明は行っていない。余りにリアルな演技から、番組の内容をそのまま鵜呑みにし「板尾は本当にそういう人間なんだ」「板尾の嫁はブラジル人」と勘違いする視聴者が続出した。ダウンタウンはフリートーク内でその事に触れ「そんな訳ないやろ! お前らな、目を覚ませ!」とこれを否定した。その一方で、板尾はこのシリーズでの怪演ぶりが各方面からの注目を集め、後にテレビドラマやVシネマ、舞台など、俳優業でもその才能を発揮する事となる。板尾は著書「板尾日記」の中で「ガキのメンバーは世界一絡みやすい」と書いており、この企画が自分の魅力を最も引き出せる仕事ととらえているようである。
因みに、初代・嫁(通称「チャッキー」)は日系ブラジル2世のタレントで、ガキ使いとの契約が切れた後に写真週刊誌に顔を出してヘアヌードを披露した。
- 放送リストと内容
- 「板尾が見てる!」(1999年2月7日放送)
- 記念すべき第一回。ダウンタウンVSココリコでバドミントン対決を行っていると、後ろのマンションのベランダから板尾がじっと収録現場を見ている。収録に差し支えるとの事でスタッフが板尾に映らないよう説得するが、板尾は聞き入れず、菅に「タレント板尾が映りこんだことに対するギャランティーは発生しないのか?」と強引にギャラを要求する…。
- 「板尾現る!」(1999年7月18日放送)
- ドッジボール対決の収録のためロケ地に向かう一同。しかしそこへロケバスにオカマをほられたと主張する板尾が嫁を伴い現れる。車の修理代を要求した後一旦は去るが、ドッジボールの現場に再登場。「首をやられた」と治療費を要求し、さらに嫁と共にドッジボールにも参加し、賞金を横取りしようとする…。
- 「板尾現る!~忘年会編~」(1999年12月26日放送)
- ガキの忘年会でビンゴ大会が繰り広げられる。そんな中、まだ数字を二つしか言っていないにもかかわらず「ビンゴ!」と叫ぶ板尾の姿が。嫁・娘とともに賞品をゲットし、意気揚々と去るが、手作りのビンゴカードを持参し再びビンゴを主張。次々と高価な商品を横取りしてしまう…。
- 「板尾現る!~勝手に七変化~」(2000年3月12日放送)
- いつもの楽屋風景に突如板尾が登場。眼にカラーコンタクトを入れてメンバーを見つめ、苦笑させるやいきなり「これは七変化」だと主張し、罰金を要求する。七変化のお金は寄付であることをいうメンバーだが、板尾はそれを無視し、勝手に罰金を吊り上げ、さらに嫁・娘も動員し脱力系の七変化を繰り広げる…。
- 「板尾現る!~嫁をレギュラーに~」(2000年5月28日放送)
- 楽屋に突如板尾が登場。罰ゲームの黒鬼のギャラが欲しいと要求し、さらに「嫁セクシー裁判」という紙芝居を始めて嫁が面白い事を主張。そして「嫁と山崎を交換しましょう」と提案する。怒った山崎は自身が演じる山崎チャッキーの面白さで嫁と勝負に臨むが、嫁が繰り広げるチャッキーは想像を超える面白さであった。焦った山崎は2回目から出演している事を理由にレギュラーの座を主張し、板尾も承服。しかしその矛先はココリコに向けられ、遠藤と「ほほほい対決」、田中と「Gパン刑事対決」が繰り広げられる…。
- 「いちゃもん板尾・尾行大作戦」(2000年9月17日放送)
- 突如楽屋に現れ無言でガキのトークのVTR(92年頃)を見せる板尾。松本が言った「チ○コ」の所を指し、「明らかに僕の名前でしょ」と主張して慰謝料を要求する。金を受け取るや急いで消える板尾を不審に思った一同は、板尾の尾行を決意。そこには街行く人々を騙して金を無心する板尾の姿が…。そしてメンバーは板尾が外人マフィアに金を上納している姿を目撃してしまう…。
- 「板尾現る!~時限爆弾編~」(2001年3月25日放送)
- ロケ現場に板尾が出現。「サンフランに移住するため、別れを告げに来た」とメンバーに報告。少しほっとしたメンバーだが、「何か暑いですね」と板尾が服を脱ぐと、Tシャツには「餞別」の文字が。しぶしぶお金を払うメンバー。すると板尾は嫁と娘を呼び、遠まわしに娘の入学祝いを要求。さらに「暑いなら脱げ」と服を脱がせると、嫁のTシャツには「6ヶ月」の文字が現れ出産祝いも要求。やがて帰ろうとする板尾だったが、車にニセ駐禁キップを張って違反金を要求し、さらには車に時限爆弾が仕掛けられていると主張。嫁は時限爆弾を手に「誰一人として巻き添い…、しないわ!」と叫んで死亡してしまう…(最後にコソコソ車に乗るが)。ちなみにこの回から「アフリカ中央テレビクルー」が登場。
- 「板尾VS嫁・世紀のデスマッチ」(2001年10月28日放送)
- 板尾が「山崎VSモリマン」をやらせだと主張し、「板尾VS嫁」を強引に行う。熱湯対決、毒蛇対決、毒吹き矢対決などさまざまな対決を行うが、明らかにイカサマだと分かる。メンバーには熱湯防護服や防毒用の血清を高額で買わせ、あげくの果てには毒が回って嫁が死んだと主張。対決用に用意していたライオン代などを請求し、嫁の死体を置いて帰ってしまう…。
- 「板尾現る!~回転寿司編~」(2002年9月15日放送)
- 回転寿司大食い対決のロケ現場に板尾が登場し、急遽山崎と大食い勝負が始まる。板尾の下には普通の寿司ネタが運ばれるが、山崎には鉄道の模型やラジカセ、万華鏡などが運ばれる。不審に思った松本が調理場を覗くと、何と握っていたのは板尾の嫁であった。板尾と嫁は煙幕を投げつけて賞金を奪取し、去ってしまう…。あまりの出来事に松本は「スタッフもグルやな」とスタッフに疑いのまなざしを向ける。
- 「板尾現る!~移動販売編~」(2004年2月8日放送)
- バドミントン対決を行っている所に「冷た~いわらびもち~」の大音量が響く。ロケの妨げになるとその場所へ向かうと、なんと板尾が軽トラで移動販売を行っていた。メンバーはしぶしぶ商品を買い、その場を去ってもらうが、板尾はさらに「ボウリング球~」「記念写真~」「若手芸人~」などの大音量を響かせ、再度ロケを邪魔し、金を求めるのであった…。
- 「板尾プレゼンツ・板尾と嫁のクイズ イッツジーイッツジー」(2005年7月10日放送)
- 「ものすごい視聴率がとれるクイズのフォーマットを考えてきた」との触れ込みでガキの楽屋にやって来た板尾。ガキメンバーを使ってそのリハーサルをやる事になったが、「何をイッツジーしてるのでしょうか?」と言った訳の分からない問題や、「エクスチェンジ」「スキルアップ」などの難解なルールが絡みメンバーは不満顔。結局は嫁が優勝してしまい、賞金100万円とフォーマット料10万円をせしめて帰ってしまう…。
- 「板尾プレゼンツ・ガキ使に永ちゃんが!」(2005年12月11日放送)
- 矢沢永吉のライブのチケットが手に入ったとの事でガキメンバーにそれを売りつける板尾。メンバーも喜んでそのライブに乗り込むが、歌っているのは完全に板尾であった。楽屋に招待されたメンバーは返金を要求するが、板尾演じる永ちゃんは「私なんかこう…、いっていってこう…、いっていって、いってるわけですよ。で、ドーンって感じですよ」などと尋常ではない訛り方で喋り、ガキメンバーの失笑を買った。さらに矢沢米、矢沢牛などを売りつけ、最終的に娘の紗理奈が代金請求に現れ、菅に対してアバウトにそろばんを弾き、「お会計。込み込みで50(万円)」という台詞を決めて笑いを誘った。
- 「板尾プレゼンツ・Dead or Alive イッツジーコロシアム」(2006年7月16日放送)
- クイズの時と同様、「視聴率の取れる企画を考えた」と企画の持込にやって来た板尾。内容は嫁グラディエーターと対決し、1000ヘブンを獲得すれば賞金が手に入るというもの。しかし内容は「パンストをかぶり、嫁と同じタイミングで脱ぐ」「寝ている嫁に気付かれないように風船を割る」「嫁と同じダンスをしながら石を取る」など嫁に有利なルールばかり。案の定嫁が優勝し、賞金をせしめて去ってしまう…。
- 「板尾プレゼンツ・イッツジーみても奇想天外人生」(2007年3月25日放送)
[編集] ガキの使いドッキリ
- 不定期で放映される。ターゲットはタレント・スタッフの区別なく行われている。松本も香港で寝起きをされた事がある。後述のように、番組に呼ばれたゲストがドッキリに引っかかる事もあり、かつて和田アキ子や東野幸治なども引っかかった。
- 1995年3月12日放送の「えっ!?生放送?」では、山崎に対してドッキリが仕掛けられた。ダミー企画はガキの使い2時間スペシャルのPRに、山崎がパンツ一丁で出て行き、そこで浜田が山崎のパンツを下げ、その後に生放送だということが発覚するという内容。その後菅に電話がかかり、菅はそこで「ダウンタウンは全然悪く無いんですけどね」と、何故か完全にダウンタウンを擁護する。さらに、山崎のマネージャーに電話がかかり山崎は吉本をクビになったと聞かされ、何故か前説に行かされることになる。前説の後ドッキリだと聞かされた山崎は、菅の台詞が一番びっくりしたと語っていた。
- 1999年1月17日に放送された田中に対するドッキリは、番組史に残る伝説のドッキリとなった。(松本の選ぶ歴代オープニング堂々の第1位作品)ダミー企画は1998年9月13日に放送された「田中カンカン!」に続く、田中の毒舌且つ高圧的なキャラクターを前面に出したMCによるゲーム企画「田中だよ!全員集合~!!」。元々は田中の毒舌に対して浜田がキレるはずだったが、それほどの毒舌もなくタイミングが計れないまま収録が終盤となってしまい、結局田中の司会がグズグズになってしまった事に対してキレる格好に。浜田は企画の趣旨が「毒舌企画」であることを再三主張したが、田中の態度が煮えきらなかったため、「『毒舌の』って、毒舌してへんやないかお前コラ!!」と突如激怒してバドミントンのラケットで田中を殴打。更にラケットを投げ付けて顔面に膝蹴りをかますなど、迫力の演技を展開した。これには流石の田中も恐怖に慄くあまり涙。直後にネタばらしされ、ドッキリが発覚した瞬間には大粒の涙を零して号泣した。後日、田中は芸人仲間に「あれは誰でも泣く」と慰められたと語っている。しかし、この企画で田中は高圧的キャラクターに開眼。「釣り選手権」の開会宣言における毒舌キャラは、このドッキリに源流がある。また脚本家三谷幸喜が、田中を映画「みんなのいえ」に主役として抜擢したきっかけであるとも言われている。尚、田中によれば、ネタばらし直後の涙は「ドッキリでよかった」というものではなく「怖かった」という心境を表すものと、グズグズな司会に終わった自分への悔し涙であったとのこと。後の放送で、山﨑が後輩の雨上がり決死隊に対して同じドッキリをしたが、「柳岡」をうまく言えなかったりラケットを投げた後コケて、宮迫に投げ飛ばされたりして、最終的には宮迫にキレられてドロップキックをくらうなど結果は散々だった。
- この他にも田中には、まだココリコが前説担当だったころにもドッキリが仕掛けられた。ココリコが舞台で前説を行っていると、客席の男が「お前らつまらないから、早くダウンタウンを出せ」と騒ぎ出した。その後、男はスタッフによって退場させられ、ココリコは前説を再開したが、いきなりその男が舞台の袖から乱入し、田中に向けて拳銃を乱射した。ネタばらし直後、田中は泣きながらひたすら苦笑いしていた。
- 2000年2月6日の「スキーツアーで藤原ドッキリ!!」では、松本が怪我を装いその責任が藤原マネージャーに降りかかるというもの。松本はボーゲンの練習中にコースを外れて転倒し、肩を強打した振りをした。スタッフが騒然とする中、浜田が藤原を呼び出し「再三言うたやんけ! 『何かあったらどうすんねん』て言うたんちゃうんかい!?」と、ビンタを食らわし、更にレスキュー隊が到着してからも「お前は(スキーが)出来るからええわ!! 出来へん奴なんか、どないでもなるんじゃ!!」と、頭突きを食らわした。ネタばらし直後、藤原は「痛くなってきました・・・・」と必死に苦笑いをしていた。
- 2006年2月12日放送の「浜田雅功 考えられへん!裁判」(前編)では、浜田のドッキリ過剰演出について検証するために、前述の田中に対するドッキリや後述の若手芸人に対するドッキリ等で浜田が激怒した瞬間の映像が放送されたが、この藤原に対するドッキリについて、松本には「普通なら頭突きの時点でドッキリだとバレるのに、バレないという事は、いかに普段から頭突きをしているか、頭突き人間か」と言われていた。
- 2005年7月24・31日の「若手芸人理不尽ドッキリ」では、2丁拳銃、フットボールアワー、井上マーら若手芸人がターゲットとなった。中堅の先輩格であるガキメンバー、デーブ・スペクターとプロレス形式で対戦するというニセ企画に乗じ、試合前の乱闘のどさくさで蹴られたレフェリー役の浜田が激怒。「誰や!? 今蹴ったん、お前かコラ!!」と、仕掛人であるはずの遠藤を殴る蹴るなどし、うっかり近付いた同じ仕掛人である田中にもマスク越しにビンタを食らわせた。浜田のキレ方は圧巻そのもので、ただならぬ空気がスタジオを包んだ。そして容疑を掛けられた若手が浜田の楽屋に呼び出されると、浜田が天童よしみのコスプレで登場し、ノーベル製菓「VC3000のど飴」のCMの「ナメたらアカン」の歌を歌いながら登場。ネタがバレた瞬間、若手らは安堵の余り腰砕けになっていた。ちなみに浜田が激怒した後に若手らは楽屋に戻ると、「みんな蹴ったっちゃあ蹴ってる」「デーブさんっていうことはない?」「遠藤さんが結構いったのは見た」とそれぞれ罪のなすりあいをしていた。更に後編では若手らも仕掛人となり、第二のターゲットのカラテカに同様のドッキリを仕掛けた。リング入りの際、何も知らない入江慎也はハイテンションで「アーイエー オーイエー オレ入江!」と、不可解な自己紹介ネタで松本を挑発しに掛かるなどした。そして、同様に試合前の乱闘のどさくさで松本が激怒。マスクを着けたままリングを去った。オチは前編とほぼ同様で、松本が「ナメたらアカン」を熱唱。矢部太郎は緊張のあまり股間を何度も掴んで号泣し嘆息。入江は「アーイエー」をやるよう振られるが、半泣きになり最後まで言い通すことが出来なかった。
- 因みに、同年の「おもしろVTRベスト10」(12月25日放送)では、この企画が年間第1位となった。前編の浜田の暴力は物議を醸したが、これは「ドッキリを中途半端な形にしたらつまらない」という浜田のこだわった演出によるもの。だが、松本には「ちょっと(手が)いくかもしれんとは言ってたけど、ちょっとじゃねーじゃん!」と突っ込まれた。また、後編で松本がマスクを着けたまま楽屋へ掃けたことについては、松本が「ちゃうねん!取ったら俺、笑てまうねん」と、実は笑いをこらえていたことをカミングアウトした。後編では、仕掛人の若手たちは浜田の暴力を先に見てしまっていたばかりに、若手らは殴られまいと極力松本に近づかないようにしていたため松本も手の出しようがなく「俺、ナンボほど手 長かったらええねん!って程、誰も傍におらへん」と振り返っていた。
- 2004年には、ドッキリをテーマにしたコント仕立ての「ハリウッド映画ドッキリオーディション」が登場、2回放映された。1回目・遠藤の『ラスト・ホホホイ』(4月14日)では、初老の男性が遠藤の「ホホホイ」を真似る「ホホホイおじさん」や、ハイテンションで「コンニチハ~、トーキョー!!」と絶叫しながら現れるトーマス・マクレガー(菅)など、名物キャラクターも誕生した。2回目・小堀、靖史、ほんこんの『ザ・ボデー・ガード』(10月10日)では、ほんこんが冷蔵庫を相手にランバダを延々15分間に亘って踊らされたり、ジェームズ監督(浜田)が「演技力のテスト」と称して3人に次々ビンタを食らわせたりと、数々の屈辱的な仕掛けが繰り広げられた。因みに、山崎邦正の嫁と両親は『ラスト・ホホホイ』の回をニセドッキリだと気付かず、本物のドッキリだと思い込んでいたため、全く笑ってなかったという。
- 同じく予定調和型のドッキリとしては2002年10月20日放送の「第1回男のチキチキ手料理対決」があり、岸部四郎に対してどっきりが仕掛けられた。ダミー企画は浜田司会で、松本らチームと料理で対決し、勝てば賞金10万円がもらえる内容。岸部がキッチンへ行こうとした瞬間、落とし穴に落とされた。気分を害して収録を放棄しようとする岸部をガキメンバーが何とか説得して企画を続行しようとするが、その後何度も落とし穴に落とされた。最終的には、岸部が気を取り直して料理企画がスタートし、キッチンに行こうとした瞬間にまた落とし穴に落とされた。激怒した岸部は「もう金しかないなあ!」と絶叫し、番組史に残る最高傑作のドッキリとなった。上述の通り、この企画は台本に基づいて作り込まれたニセドッキリであり、自己破産をした影響か、岸部はやたらと金にこだわるキャラとして設定がされていた(「落とし穴に落とされた慰謝料としてギャラを8.5倍出してくれ」、「俺は元金持ちやぞ」)。
- 番組初期にはスタッフに対するドッキリが盛んで、高須光聖にテレクラドッキリ、岡本昭彦マネージャーに菅ちゃん&作家モトイチ・ホモ疑惑ドッキリなどがある。また山崎邦正は何回もターゲットになっており、ヤクザの女に手を出し、ヤクザからすごまれるというドッキリや、ホモの黒人集団に襲われてアナルセックスを強要されるドッキリ(あまりにも過激であり、苦情が来たため、現在では絶対に放送される事はない)、中村喜伸プロデューサーが死んだと騙されるドッキリ、山崎司会のニセトーク企画のゲストに悪役商会が現れるドッキリ、ダミーの生放送中に全裸になって吉本興業をクビになるドッキリなどがある。
一度、山崎が仕掛け人となって松本にドッキリをしかけた事もある。電話ボックスに山崎を閉じ込め中に花火などを詰め込んで楽しむダウンタウン。山崎は急に電話ボックス内でうずくまりなかなか呼吸ができないという演技を見せた。 この演技に松本は見事に引っかかり、成功で終わった。
[編集] 松本&黒子・挑戦シリーズ
不定期で放映。ある日突然、松本が「大記録に挑戦したい」と浜田に懇願。相方思いの浜田が山崎とココリコを巻き込む形で黒子に扮し、松本と共に記録に挑む。
しかし、松本はいざ挑戦という時になると突然脱力。一切身体に力を入れず、糸の切れた操り人形のようになってしまう。4人の黒子とスタッフはそんな松本の身体を支えて記録達成をアシストするが悉く失敗を繰り返し、松本を激怒させてしまう。楽屋に帰った松本は、何故か不可解な行動を取っている(焼そばの絵を描く、外国人プレスからインタビューを受ける、ニワトリのひなを雄か雌か見分けている、隣の部屋から漏れ聞こえる女性の喘ぎ声を盗み聞きする、田島マネージャーが意味不明のコスプレをしている等)。しかし、大掛かりな仕掛けを用意して行う場合には、専門の業者による安全装置を体に身につける必要がある場合もあり、その時ばかりはさすがに松本も自主的に動く。それを見た田中からは「業者さんの言う事は聞くんですね」と呆れられた事も。
最終的には、最も簡単な手法で記録を見事(?)達成するのだが、松本は結局不機嫌なまま終わる、というのがお決まりの流れとなっている。そして、そこに至るまでいちいち面倒なやり方を繰り返すのがポイント。基本的に、松本はチャレンジの間には身体に一切力を入れてはいけないのがルールで、毎回荒っぽく扱われるため、「何されるか分からんから不安なんですよ」と、この企画の収録の際には戦々恐々としているという。スケボーの際には「アバラが折れた!」とその後のトークで主張。
- 過去の挑戦
- 2000年7月23日 走り高跳び2m50cmに挑戦!!
- 2000年8月20日 跳馬前転跳び前方かかえこみ3回宙返りに挑戦!!
- 2000年12月10日 スケートボード・バックサイドグラブシフティフロントサイド900エアに挑戦!!
- 2001年6月10日 150Km/hの剛速球を打ち返す!!
- 2003年4月6日 ウェイトリフティング・スナッチ220Kgに挑戦!!
- 2004年5月16日 炎のリンボーダンス・50cmに挑戦!!
- 2005年7月17日 競泳自由形・25m10秒に挑戦!!
2003年にはヘイポーが女性にもてるためにロデオに挑戦する変形版も放送されたが、全くかっこよく乗りこなすことが出来ず、八つ当たりを受けた浜田と遠藤は強烈なビンタをお見舞いされた。
シリーズ化する以前の1999年には、松本が「催眠術に目覚めた」と言い出し、浜田がそれに協力する形で出演者・スタッフに「かかったフリしてあげてくれ」と頼みこんで催眠術ショーを披露した。松本はヘイポーに「あなたはニワトリです。手を叩くと鳴き出します」という催眠をかけるが、全く催眠のかかってないヘイポーは突然「ウエーン」と人間で泣き出し、松本を激怒させた。さらに菅には「あなたはゴリラです。手を叩くと叫びます」という催眠をかけたが、「ブフッ」というゴリラとは程遠い菅の叫びにまたまた激怒した。
[編集] 限界シリーズ ○○はどこまで○○なのか
喫茶店などで注文したい品に似せた言葉を発し、店員が理解してオーダーが通るかどうかを変装したメンバーが検証する。今企画は店側には内緒で行うということで大抵は店員に怪しまれるため、ロケは異様な緊張感に包まれる。
- 1996年7月28日『アイスコーヒー』→「あいつもういい」「愛想わらい」「欧陽菲菲」等、『ミックスサンド』→「熱血漢で」
- 1996年9月8日 『冷やし中華』→「みやし中華」「中華冷し冷し」「東二中か」「鈴木京香」等
- 1997年8月3日 『マイルドセブン』→「マイケル富岡」「アイドル気分」「マグロ漁船」等
- 1999年5月30日 『カツカレー』→「ケツ蹴れー」「勝新」「カヒミ・カリィ」「チャゲ&飛鳥」「戸塚ヨットスクール」等
- 2000年5月21日 『チャーシューメン』→「焼き豚ラーメン」「ミャーシューメン」「逆にチャーシューメン」「長州力」「急斜面」「加藤茶と志村けん」等
- 2003年4月27日 『ナポリタン』→「大鶴義丹」「何歩歩いたん」「タモリさん」等
- 2003年11月16日 『オムライス』→「アン・ルイス」「侍」等
余談だが「冷やし中華編」でヘイポーは下見のため他のスタッフと共に店を訪れた際にオーナーに今企画の趣旨をバラしてしまったことがあるらしい。
[編集] コスプレバスツアー
メンバーが女子高生・SMの女王様・ピンク・レディーなどのコスプレに身を包み、バスに乗って都内を走りながら合コンのゲーム(せんだみつおゲームなど)を行う。負けた者はコスプレのまま外に出て恥ずかしい思いをさせられる。
2000年に放送された「アニメキャラになってバスツアー」では、ゲームに負けた「Dr.スランプアラレちゃん」に扮した山崎が降ろされ、スパゲッティを買うよう指令を受けた。しかし山崎はいったんその場を逃げ去り、迎えに来た雨上がり宮迫と共に2人でスパゲッティを買ったことを知った松本が激怒。「その格好でイタリアのブーツのかかとの所まで行って来い!」と、スケールのでかい罰ゲームにまで発展してしまった。因みに罰ゲームでは逃げ出すことなくスパゲッティを買ったが長時間冷凍保存していたせいか、全然おいしくなかった。山崎も半強制的に試食をさせられたが、吐き出してしまった(その際の映像にはモザイクがかけられた)。
変形版として「マドンナと接吻バスツアー」(2005年4月3日放送)があり、ゲームに負けた敗者は著名な観光地で沢山の一般人が見守る中、ヒロインと濃厚なキスをすることになる。 1回戦=松本が東京タワーで胡喋蘭のあべこと。 2回戦=浜田がお台場アクアシティで椿鮒子と。 3回戦=田中がパレットタウンでジョーダンズの三又忠久と。
[編集] ピカデリー梅田緊急来日特番
2005年、「次長課長河本七変化」で登場した“浜田を脅す、入れ歯の老人”がキャラクターとして独立し、企画化されたもの。ピカデリー梅田はシルバータレントの菅登未男が演じている。過去5回OA。
特番「日曜ナイトスペシャル」のMCは毎回梶原しげるが務める。ガキの使いメンバーは、この特番にゲスト出演しているという形となっている(「『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の皆さん」と紹介される)。ピカデリー梅田は派手なアロハとスーツ、フェルト帽、サングラスに身をまとった推定80歳前後の男性。カナダ在住でのタレントで、出演番組は常に高視聴率をマークしており、特に8時またぎの視聴率は驚異的で、特にF2層で高い人気を誇るという。その一方で、気に入らない事があると高圧的な行動を取るなど、非常にデリケートな性格の持ち主でもあり、カナダでは出演者・スタッフ・出入り業者である放送作家などの態度が気に入らないと、途中で帰ったりその存在を消す事もあったらしい。キャッチフレーズは「うさん臭さゼロ」。決め台詞は「ザッツ・オール!」(「これでおしまい」「一件落着」などの意)。その他「ガブリ! 噛み付いちゃっていいかな?」「ペロリ! たいらげちゃっていいかな?」「キテるよ、キテるよぉ!」など。見せ場になると「そろそろ入れ歯外しちゃっていいかな?」と言い放つや、何故か入れ歯を外す。余談だが「ピカデリー梅田」の名の由来は、大阪・梅田にある映画館「梅田ピカデリー」であるといわれている。
ピカデリーは、企画の立会人であるガキメンバーを徹底的にいじり倒すことを生き甲斐にしているらしく、遠藤は毎回カメラの前で「千秋、愛してる」と言わされる恥辱を味わっている(第三回では「千秋、今晩食べちゃうよ」とまで言わせる)。また浜田は第3回以降、ピカデリーの奇行にいちいちキレるドSな役回りに転じている。しかし、何故か松本にだけは優しく「ハゲちゃん」と呼んで可愛がっている。
ちなみに、ピカデリーの右耳にはイヤホンが入っており、台詞やパフォーマンスについてはスタッフから逐一指示が出されている。
- 第1回「奇跡の入れ歯占い師」(2005年5月1日)
- 「細木数子の番組があれだけ当たる」という事を当てたという触れ込みで登場。ココリコにはコンビ解散の危機を「きちんと挨拶しろ」とアドバイス。山崎には改名を促し「ザッキッキ」という芸名を与えた。浜田はじめ既婚者メンバーには夫婦仲を保つため「毎日1回『愛してる』と言ってやれ」とアドバイスし、更に遠藤には「名前を呼んでやれ」と要求。遠藤はカメラに向かって「千秋、愛してるよ」と呼びかけた。しかし、松本には「今年中に結婚しろ」とアドバイスしたものの、肝心の結婚相手は入れ歯を外しながら言ったため、分からずじまいだった。
- 第2回「奇跡の入れ歯マジシャン」(同年8月14日)
- 「霊長類No.1マジシャン」「仕込んでる感ゼロ、うさん臭さゼロ」という触れ込みで登場。「トランプ透視マジック」「入れ歯空中浮遊術」「美女切断マジック」「瞬間移動」などを披露するも、どれもタネが丸分かりでメンバーは不満顔だった。
- 第3回「恐怖の入れ歯大食いチャンピオン」(同年11月27日)
- キャッチフレーズは「満腹中枢なし 胃酸過多この上なし」「咀嚼感ゼロ! 噛まない方が早い! 否、噛めないから早い!!」。大食いチャンピオンとしてはカナダはおろか全米でも有名で、「ラストバキュームザムライ」との異名を持ち、寒い夜には自らの胃袋にくるまって就寝しているとの触れ込みで登場した。そして「1時間で寿司500貫」や「牛丼60杯」「カレー70杯」に挑戦するも、食べ方は非常に遅く、更にはチャレンジの途中で「昔、ツケで寿司を食べさせてくれた寿司屋の大将の事を思い出してしまった」「俺はベリタジアンなんだよ!」「嫁がインド人と浮気したのを思い出した」などと、その都度理由を付けては強引に挑戦を打ち切った。挙げ句の果てには失神したふりをして収録を打ち切らせ、本人はタクシーで悠々と夜の錦糸町へと消えていった。
- 第4回「凄腕入れ歯万引きGメン」(2006年7月9日)
- キャッチフレーズは「追跡中まばたきなし 眼球疲労この上なし」「白目でも見える! 黒目なら尚見える!!」。凄腕の万引きGメンであるばかりか、アフター5に絶対捕まらない上司も簡単に捕まえてしまう程の腕前を持っている、という触れ込みで登場した。元々はピカデリー自身が万引き常習者で「万引きされたらどれだけ引くか」を悟り、万引きGメンになる。その引き具合について、曰く「ボン引きだよ!」。スタジオではピカデリーの万引きGメンとしての活躍ぶりを密着収録したVTRをモニタリング。極度に目立つ格好で次々と万引き犯を捕まえ、更には外国人を見事な護身術で捕らえ「男の人呼んでぇ!」と大声を上げるシーンではスタジオが思わず爆笑。この後ピカデリーはスタジオでその護身術を山崎相手に披露。だがピカデリーは単なる実演にも関わらず、ここでも「男の人呼んでぇ!」と絶叫し、失笑を買った。これに対してピカデリーは「男の人を呼ぶまでが護身術だよ!」と持論を述べた。この後、ピカデリーは自身が万引きGメンになって初めて確保した万引き犯と感動の再会を果たしたが、収録中にもかかわらず、そのまま連れ立って錦糸町へと飲みに行ってしまった。
- 第5回「カリスマ入れ歯ホスト」(同年10月29日)
- 「貢いだ女性たちの損した感ゼロ! 臭いセリフで女を落とすが口臭はゼロ!」の触れ込みで登場。1年前に新宿歌舞伎町のホストクラブ「愛」で74歳でデビューし、ものにした女の数は300から500人にのぼる。源氏名は「ピカ光」。スタジオでは普段の活躍をVTRでモニタリング。甘い言葉で次々と女性を口説き落とす。地方から出てきたばかりの大金の見込めないような客でも差別せず、差別した後輩は激しく叱責する。また女性を抱きしめなでまわしただけでその女性の秘密を言い当てるという特技を持つ。取材時の月間売り上げは9234万6000円で月収は5532万円。番組ではピカが帰省し、両親にホストである事を告白した様子も放送。それを聞いた父親はショックで倒れ死亡。スタジオには母親も登場し、やはりホストである事を知った母もショックで倒れた。ピカは「誰か医者の人呼んでぇ!」と何度も叫びながら病院へ直行した。いつも尻ぬぐいをさせられ、強引に番組を締める梶原しげるに対し、松本は「(この仕事)もう断ったほうがいいんじゃないですか」とアドバイス。
[編集] 山崎邦正 音楽プロデュース
過去2回放送。山崎が作詞・作曲で意外な才能を発揮(?)する。
- 第1弾
2004年12月5日放送。家のローンや娘2人の学費などに苦しむ山崎が印税目当てにダウンタウンとココリコに無理矢理曲を提供し歌ってもらう。山崎はわずか4時間で4曲を作詞作曲し、音楽番組ばりのスタジオライブを演出した。
- 「BEACH PADDY」 唄:浜田雅功
- 21歳の青年が持つ社会に対する葛藤を表現した曲。赤い薄手のレースのマフラーを纏うなど、衣装や曲調がT.M.Revolutionそっくり。しかし山崎は「T.M.Revolutionなんて知らない」と言い張り続けた。浜田曰く「詞の意味が全く分からない」。
- 「Rizière Centre」 唄:田中直樹
- 「FAR WISTARIA」 唄:遠藤章造
- 「PINE BOOK」 唄:松本人志
- 他の3人はややネタが入った曲だが、この曲だけは真面目なバラード。衣装も用意されず私服で歌わされる。松本は「余計に恥ずかしい」と照れまくった。浜田省吾風の男の哀愁を唄うバラードだが、これについても山崎は「浜田省吾なんて忘れた」などととぼけ続けた。
プロデュースを手掛けた山崎はともかくとして、歌っている本人たちにしてみれば、歌詞、衣装ともども相当恥ずかしい内容で、この曲を本人たちが聴くと必ず赤面するほど。ちなみに「BEACH PADDY」(beach=浜、paddy=田)のように題名の意味は歌うメンバーの苗字となっている。
その後、番組内では「2004年おもしろVTRベスト10」(2004年12月19日放送)、「罰ゲームSP・絶対に笑ってはいけない温泉旅行in湯河原」(同年12月28日放送)ではエンディング曲に「PINE BOOK」を使ったり、「山崎vs.モリマン」(2005年2月27日放送)では田中が「Rizière Centre」を生で歌うなど頻繁に使用された。放送時にはCD化してくれるレコード会社を募集したものの、音楽業界からは(オリジナル性ゼロの完全な模倣のためか)完全にシカト。結局CD化には至らなかった。
- 第2弾
2006年6月11日放送。前回はCD化のオファーを得ることができず、夢の印税生活は実現しなかったが、山崎はリベンジを期して再び挑戦。前回のような導入部のコントはなく、VTRもメイキング部分のダイジェストと、スタジオでのモニタリングを中心に編集された。山崎が制作した楽曲は下記3曲。
- 「夏オトコ2006 メドレー」 唄:遠藤
- 「忘れられないSummer」「江ノ島の女」「海 '06」「愛しい君に」の4曲から成るメドレーナンバー。TUBEとサザンオールスターズを足して割ったようなアレンジの楽曲で、遠藤のボーカルも、あたかも桑田佳祐を思わせるような雰囲気。何故メドレーナンバーになったのかという点について、山崎は「遠藤は既にいっぱいヒット曲を持っているようなイメージがあり、曲のイメージがどんどん沸いてきた」と証言している。VTRを見た松本は「デビュー10周年にやることやん」コメントした。
- 「Those days」 唄:松本・田中
- Kinki KidsとCHAGE&ASKAを足して割ったようなアレンジの曲。歌詞の設定は非常にややこしく“(妻・千秋のいる)遠藤に惚れてしまった松本と、そんな松本を応援する田中”というもの。30秒もの長いイントロの間に、目も当てられないような滅茶苦茶な振り付けが入るのが最大の特徴。この振り付けも担当した山崎はそのあまりのひどさに自ら「テレビサイズのサムさったら無いですね。駄作です。」と匙を投げてしまった。
- 「Not a errand boy」 唄:ガキの使いオールスターズ(ガキメンバー5人全員)
- SMAPの「世界に一つだけの花」や、1980年代のニューミュージックを思わせる、ほのぼのとしたムードのナンバー。タイトルは「ガキの使いやあらへんで!!」を英語に直訳したもの。ガキメンバー5人をイメージして作った番組のイメージソングだが、「僕らは5人揃ってやっと一人前」という山崎のコンセプトを反映してか、「寂しすぎて歩けない」「弱すぎる僕たち」「くじけそうな僕たち」など、歌詞には弱々しいフレーズが並ぶ。歌収録の際、田中は曲のラストで当初の振り付け(右手を高く挙げる)を無視し、帽子を脱いで胸に宛がうというアドリブを演じてしまった。田中は「(歌っているうちに)気持ち入ってもうて…」と釈明した。ちなみにこのオンエアを見た、よゐこの浜口優はこの曲をきいて泣いたらしい。
前回同様、山崎はこの3曲をCD化してリリースする事を目指しており、更に最終目標として「紅白に出たい」とぶち上げた。目下オファーはないが、その後放送された「第12回芸能人釣り選手権」(同年7月2日放送)のエンディングテーマに「Not a errand boy」が使われたり、2006年夏に行われた「山崎vsモリマン」でも松本&田中が生で「Those days」を歌った。
上述の通り、山崎は本気でこの3曲のいずれかをCDとしてリリースしたいと考えているが、後日談として、松本が自身のラジオ番組「放送室」(TOKYO FM系)でCD化について「DVDのおまけなどとして収録するのはアリだが、(本格的に)CD化してしまうと(企画そのものの)面白味がなくなってしまう」と語っており、CD化の可能性は限りなく低い。
[編集] ゴレンジャイゲーム
2001年に放送。レギュラーメンバーの5人が仕切られた小さい部屋に入り、その中で5色の戦隊ものの衣装を無作為に着て一人一人登場し、5色そろえば成功。5人が違う色を選ぶ確率は120 / 3125(3.84%)。また罰ゲームとして5色同じ色がそろうという条件だったがこちらの方がかなりの低確率で5 / 3125(0.16%)。(ちなみに罰ゲームは実行されなかった。)かなりの運が必要なゲームでメンバーの息もなかなか合わずロケは深夜まで及んだ。6時間という制限時間が設けられており、本当に最後の挑戦で奇跡の成功を収め、意外な感動を呼ぶ企画となった。成功時の色は■遠藤 ■山崎 ■松本 ■浜田 ■田中
- ナナレンジャイゲーム メンバーに雨上がり決死隊を加え、色は白と黒を加えた7色。7人が違う色を選ぶ確率は5040 / 823543(0.612%)。この企画はメンバーもお遊び要素が強かったのかゴレンジャイゲームの時とは違い終始仄仄(ほのぼの)した空気だった。色は結局揃わず罰ゲームは全員で3往復ビンタマシーン(だったが、何故か4往復してしまう)
[編集] テクニシャン対決
- 自ら性豪を名乗る松本が他のメンバーに古風な文面の果たし状を渡し、「真のテクニシャンは誰か!」を色々なゲームで決める企画。最下位の者には罰ゲームが与えられる。
- 第一回(2006年8月26日放送)は30体のマネキンに付けられたブラジャーのホックを外すタイムを競った。結果は松本が一位で最下位は田中。田中には「夏の湘南ブラり一人旅!!」が行われ、上半身をブラジャー一丁だけの姿になった田中が江ノ電に乗ったり鎌倉市内を歩いた。ブラジャー姿の田中は、うつむき加減ながらも、沿道を歩く主婦等に「いつも見てますよ」など気さくに声をかけられ、まんざらでも無かった様子。遠藤曰く「こっちの(罰を受ける)方がオイシイんとちゃいます?」
- 第二回(2007年2月4日放送)は「ビーチクいじりマッチ」として10体に付けられた胸のベルを、一分以内に何回鳴らせるかを競った。結果は遠藤が一位で最下位はやはり田中。「幻の大沼牛1000回乳いじり」が行われ、牛舎に眠る牛の格好をした(乳首だけ露出)大沼ディレクターの乳首を1000回いじった。田中に乳首をいじられた大沼は恍惚の表情を浮かべ、思わずのけぞって田中から「反り返るの止めて下さい」と注意される。罰ゲーム終了後、田中は「嫁にも申し訳ない」とうなだれた。
[編集] 村上ショージ教室シリーズ
村上ショージがなぜか講師になり、ガキメンバーに様々なレクチャーを与える企画。一回目は忍者教室(2006年9月17日放送)、二回目はグリーンベレー養成学校を開催(2007年1月21日放送)。しかしショージ先生の意味不明な言動、理不尽な激怒などにメンバーは終始苦笑いの連続で、毎回「今回の企画にあまり期待しないで下さい。最後まで特に何も起こりません」のテロップが入るなど、スタッフもショージが一体何をしたいのか掴みきれず困惑している様子が伺われる。ショージはなぜか遠藤に優しく、タバコを吸わせたりチョコレートをあげたりするが山崎には冷たい(どうやら山崎の父親に昔いじめられていた事が原因らしい。もちろんウソだが)。毎回最後に最優秀生徒が選ばれ、別れたショージの嫁にちなんだプレゼントが贈られる。一回目は浜田がダッフルコートを、二回目は松本がトートバッグを獲得。
[編集] 菅ちゃん理不尽シリーズ
番組プロデューサーの菅がプロデューサーとしての強権を発動し、メンバーを困らせるオムニバスの企画。以下、その内容について触れるが、番組側では「菅シリーズ」という明確な定義は行っていない。
- 思い通りにボケないダウンタウンを強引に解雇し、代わりに笑福亭笑瓶を起用。
- 予算がほとんどないのに「金はいくらでも使っていい」とうそぶく菅の言葉により、豪気な企画が次々と打ち出される。しかしそんな企画会議を露骨に邪魔し、メンバーをキレさせる。メンバーはかに道楽での企画会議を行うがそこでも邪魔し、再びメンバーをキレさせるが逆ギレし、かにの殻をチェックして「まだこんな肉入ってる!もったいない!」と説教。
- 放送600回記念として「こんなんでいいの?」というほど簡単なゲームに勝ったらメンバーに三百万円を渡すと宣言(内訳は松本・浜田が百万ずつ、遠藤・田中が四十万ずつ、山崎が二十万)。しかしゲームの最中にカメラマンやアシスタントのおばさん、ニワトリに扮し、次々と邪魔をする。
- 見学に来たでしゃばりの奥さんを強引に収録に参加させ、メンバーにキスをさせまくる。奥さん役としておばちゃん3号が出演。
- 西部警察のファンという事で大門に扮し、一人じゃさまにならないという事でメンバーやスタッフから強引に大門軍団を選ばせ(スーパーボール取りなどの簡単なゲームをやらせる)、嫌がるメンバーを引き連れ西部警察の1シーンを再現。
- 大門刑事…菅P、巽(鳩村)刑事…中村P、松田刑事…遠藤、源田刑事…山崎、谷刑事…ヘイポー、木暮課長…ゆうたろう(友情出演)
- この企画は好評であったらしく、2005年10月4日放送の罰ゲームスペシャル「絶対に笑ってはいけないハイスクール」においても、遠藤と山崎、ヘイポーを除いたメンバーが出演している。この時、菅Pはやけに不機嫌であったらしいが、理由は大門が所持しているショットガンの小道具をスタッフが用意し忘れたためである。
- 第二弾として「この秋から日テレで『西遊記』やるんです。僕が悟空で。」とウソをつき、強引に西遊記の一行を選ばせる。
- なおこの回では番組史上初めてスタッフロールが縦に流れた。
- 視聴者層にオバちゃんが少ないという理由でニセ韓流スター・ウソンビンを呼び、強引に大喜利をやらせる。
- 24時間テレビのマラソンのシミュレーションをやりましょうとメンバーを強引に連れ出す(理由は全員伸び悩んでいるから)。万が一のリタイアに備え、代理人を用意して強引にシミュレーションを続行。代理人は松本→坂本ちゃん、浜田→志賀勝、山崎→みつまJAPAN、遠藤→轟二郎、田中→氏神一番。
- 製作予算がないのでメンバーをファミレスに行かせ、普通に食事させる。「僕の編集でいくらでも面白くなる。そんじょそこらのP(プロデューサー)とは違う」と豪語するが、できたVTRは悪意に満ちたテロップを入れまくってメンバーをくそみそにけなしたり、「アントニオ猪木が突然来店!!」「その時、外には高倉健の姿が!!」などとウソ情報満載のメチャクチャなものだった。
- 広義には松本真剣白羽取りシリーズや松本挑戦シリーズなども、視聴率がいいという理由で浜田の反対を無視する点からすれば菅ちゃん理不尽シリーズに分類される。
[編集] 浜田企画
浜田が意味不明な行動を唐突に起こし、メンバーを困らせるオムニバス企画。菅ちゃんシリーズ同様、番組側では明確な定義は行っていない
- 「チャゲ&飛鳥が全然オモロない!」とキレだし、二人を伝書鳩で河川敷に呼び寄せ、ニセチャゲアスに漫才指導を行う。
- フォークグループ「浜田雅功とハッピーターン」を結成し、夕暮れの公園でミニコンサートを披露。
- 何故かママさんバレーの監督をし、熱血指導振りをメンバーに見せ付ける。
- 「マジックにタネいらんねん、タネある内は花咲かんねん、マジックという名の花はな!」と言ってタネのない剣刺しなどの「タネなしマジック」を行う。ここで彼のドSの本能がむき出しになり、メンバーを恐れさせた。
- 「最近バンドに元気がない」という事で「創聖鬼」という聖飢魔IIそっくりなバンドを結成。自らはサタン浜田を名乗り、メンバーにも扮装させゲリラライブ・通称ミサを開催。聖飢魔IIの代表曲・蝋人形の館を熱演した。
[編集] クイズ 500のコト
メンバー1人に関するクイズ500問を残りの4人が解答者として答えてゆくクイズ企画。まず解答者は出題ナレーションに従い、その解答を書いてゆく。続いて別室に居る出題側のメンバーがインタビュー形式で、出題と同じ内容の質問に答える。解答が出題側メンバーと一致した解答者には1ポイントが与えられ、最も正解数の多かった解答者が優勝となる。解答は前述の要領でリアルタイムで発表されるが、出題側の別室では解答席側のスタジオをモニタリングする事ができないため、出題側が解答内容を操作することはできない。解答者のメンバー4人は出題側のメンバーの人となりを如何に知っているかが問われる企画である。
とはいえ、出題には他愛もないような内容のものも多く(例:浜田の好きな交差点は?)、またメンバー間で後々揉めそうな内容のものもある(例:メンバー4人の中で一番不潔そうなのは誰?)。それに加えて収録は夕方から深夜までに及ぶ6時間を越す長丁場であり、スーツ着用の上長時間スポットライトを浴びせられる為、解答者席の4人は疲労やストレスから次第に服装や態度がグズグズになってゆく。正解者が一人だけの場合、その人物にカメラがアップになる。その瞬間に顔を作るのがお決まり。
解答席側のナレーション(天の声=出題文読み上げ)は太田真一郎。
- クイズ田中の500のコト(2006年9月24日)
- 優勝者:遠藤(123/500問)
- 優勝賞品:田中に会える
- クイズ浜田の500のコト(2007年4月1日)
- 所要時間:7時間13分
- 優勝者:松本(125/500問) 遠藤がわずか124問(1問差)で2位。以下、田中116問、山崎96問
- 優勝賞品:浜田と酒を酌み交わせる
[編集] 過去の企画
[編集] 衝撃告白!思い出旅館!!
過去2回放送。旅館に宿泊しているガキメンバーが、今まで誰にも明かしていなかった自分の過去の秘密を語るというもの。カードを引き、「話し役」のカードが当たった人は、お題として出されている映画や漫画等に因んだ自分の過去を告白しなければならない。話し手がお題として示された作品の内容をきっちり覚えているとは限らないので、思い出話が手探りのグダグダ状態になっていくのが見所。
- 第1弾 2003年11月23日
- 「ロッキー」(浜田)
- 「猿の惑星」(遠藤)
- 「あしたのジョー」(山崎)
- 「一休さん」(浜田)
- 「13日の金曜日」(山崎)
- 「巨人の星」(田中)
- 「桃太郎」(松本)
- 第2弾 2004年3月7日
- 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(田中)
- 「天才バカボン」(山崎)
- 「ゴッドファーザー」(遠藤)
- 「宇宙戦艦ヤマト」(松本)
- 「101回目のプロボーズ」(浜田)
[編集] ○○だらけの野球大会
過去4回放映。出演者・スタッフから成るプレーヤー全員が、あるアーティストの扮装をしてプレー。乱闘、投手交代、決勝打などの名場面ではそのアーティストのナンバーがBGMとして流れる。
- 1. 2001年10月14日 浜省だらけの野球大会!!(浜田省吾)
- 2. 2001年11月18日 浜省だらけの大運動会!!(同)
- 乱闘シーン:「MONEY」「丘の上の愛」「もうひとつの土曜日」「路地裏の少年」
- ラストシーン:「悲しみは雪のように」
- ダイジェスト:「陽のあたる場所」
- 3. 2003年4月20日 ひばりだらけの野球大会!!(美空ひばり。ラストシーンに加藤和也が特別出演)
- 乱闘シーン:「お祭りマンボ」「真っ赤な太陽」など
- ラストシーン:「川の流れのように」
- 4. 2004年9月20日 チャゲだらけの野球大会!!(CHAGE and ASKAのCHAGE。監督は飛鳥涼=中村喜伸・小林宏充)
- 乱闘シーン:「YAH YAH YAH」
- ラストシーン:「SAY YES」
[編集] 部活動シリーズ
2002年以降、計5回放映。ガキの使いレギュラーチーム5名と、ゲストの芸人チーム5名が珍競技で我慢比べをする。
- 2002/5/19 押吸!息止め部(第1回) vs.オフィス北野チーム
- 2002/6/16 押吸!息止め部(第2回) vs.太田プロチーム
- 水中で息を止める時間を競う。浜田がネックとなり2連敗。
- 2003/9/21 高速回転グルグル部 vs.太田プロチーム
- 椅子に座って高速で回され、直後に直線コースを走って平衡感覚を競う。浜田は三半規管がおかしい?ため真っすぐ走ることが可能で勝利した。
- 2004/11/14 こちょばし部 こちょバッファローズ(ガキチーム)vs.くすグリズリーズ(木村祐一・ジョーダンズ三又・ふかわりょう・次長課長)
- くすぐり攻撃を耐え抜く時間を競う。こちょバッファローズが勝利。
- 2006/7/23 引きずられ部 vs.ワタナベエンターテインメントチーム(ゴルゴ松本・ふかわりょう・マイケル・アンガールズ)
- バーを握ったまま車で引きずられ何処まで頑張れるかタイムを競う。個人戦は松本のみ勝利。団体戦でガキチームが逆転し勝利。
- 番外編「突撃!こちょばしグランプリ」(2005/7/3) こちょばし部との対戦と騙して呼んだゲスト(ウエンツ瑛士・アンガールズ・周富徳・錦野旦)へのドッキリ。こちょばしマンのくすぐりに2分間耐えれば10万円もらえるが、ギブアップの場合は恥ずかしい告白をさせられる。ウエンツはおかずにしたことのある芸能人(長谷川京子)、アンガールズ田中は一番感じる性感帯(ケツの内壁)、山根は体を許してもいい男性芸能人(藤木直人)を告白させられた。なぜか周富徳と錦野旦にはくすぐりが全く通用しなかった。またレギュラー陣にもくすぐりが仕掛けられ、浜田はおかずにしたことのある芸能人(石野真子)、遠藤は最愛の女性の名前(千秋)、松本は体を許してもいい男性芸能人(織田裕二)を告白させられた。
[編集] 日本一おめでとうビールかけ
1999~2003年の10月下旬、プロ野球日本シリーズ終了直後に放送された、日本一決定に便乗した(フリをした)企画だが、実は収録はシリーズ期間中に行われているため、この段階ではまだ日本一が決まっていない。シリーズで対戦しているセ・リーグとパ・リーグ両チームのユニフォームを着て、メンバーとスタッフが理由もなく2度に分けてビールかけを繰り広げる。ロケはダイビングプールのあるスペースで行われ、メンバーは次々とプールに飛び込んだり、或いは落とされたりする。レポーターによるインタビューが行われる他、外国人選手役のタレントも加勢し「トコトンノムゾ!」「イイゾ、テンサイゲイニン!」と絶叫。OKが出るまで、参加メンバーは終始ハイテンションで喜びを爆発させ続ける。
前述の通り、基本的にビールかけは2部制で行われるが、2002年には阪神タイガースの大ファンである遠藤の強い要望で、阪神のユニフォームを着て3回目のビールかけを行った。しかしユニフォームを着たのは遠藤だけで、他メンバーは白黒の幕、寅さん、豹柄のパンツなどを強引に着せられ、更には既にビールを使い切っていたため、スタッフが持参していたペットボトルの茶をかけるという、即席とはいえ実に惨めな内容。それでも遠藤は「阪神最高~!!」とご満悦だった。奇しくも翌2003年、阪神は18年ぶりのリーグ優勝を飾る。
すると、その2003年10月のビールかけには広島東洋カープの大ファンである極楽とんぼ・山本圭壱が乱入。「この年阪神が優勝したのはこの企画のおかげ」と、金太郎やサンタクロースなど、赤い衣装をメンバーに着せ(前年同様、広島のユニフォームを着ていたのは山本だけ)、即席のカープバージョンを強行した。しかし二匹目のドジョウとはいかず、翌2004年シーズンの広島は5位に終わっている。
この「日本一ビールかけ」の企画意図は実に単純で、「ビールかけがどんな感じなのか知りたかった」(菅談)というのがそもそものきっかけ。ネタも切れて食傷気味の感は否めず、本人達も「飽きた」との理由で2004年以降は放映されていない。また2001年はアメリカ同時多発テロ発生による自粛ムードの影響で、収録は見送られている。
[編集] 森三中がやって来た
「ハイテンション ザ・ベストテン」(2000/12/17放送)に出演して異彩を放った森三中・大島美幸が浜田に恋したという設定で、浜田のドラマ・CM撮影現場に乱入。他のレギュラー4人が語る浜田の好きな女性のタイプに基づいて大島が体を張った猛アタックを繰り広げる。大島や相方の村上知子が先輩芸人に対してタメ口の毒舌を吐く。2001年は森三中の一員である黒沢宗子が進ぬ!電波少年の企画に参加したため出演していない。
- 2001年のバレンタインデー(2/18放送)
- 浜田と付き合う権利を賭けてゲーム対決し、「たたいてかぶってジャンケンポン」やガチンコ格闘で返り討ちに遭った。
- 2001年の浜田の誕生日(5/13放送)
- 2002年のバレンタイン(2/24放送)
- ここから森三中の3人目・黒沢宗子が復帰。強引な女が好き→3人で浜田を押さえつけて無理矢理唇を奪う、茶目っ気のある女が好き→電話ボックスに浜田を閉じ込めて巨大風船を爆発させる、異性を感じさせない女が好き→全裸でサウナに乱入 など。
- 2002年のクリスマス(12/22放送)
この森三中シリーズは内容が余りにも過激過ぎる点から、一部遅れネットの地方局では放送を取りやめる回が出た程。さらに中京テレビや読売テレビでの放送を一時打ち切る要因にもなったともいわれる。
[編集] 図書館でサイレントゲーム
メンバーとヘイポーの計6人が図書館の一室で罰ゲームを行う企画。ルールは、6枚のカードのうち1枚ずつ選び、ドクロのカードを引いた者がお題に書かれた罰(鼻毛抜き、皮ベルトビンタ、熱々スライム乗せなど)を受ける。場所が図書館であるため、メンバーは声を出してはいけないのがこの企画の特徴。また、ヘイポーの代わりにアーネスト・ホーストがゲスト出演(2004年4月25日放送)したこともあった。さらに、「笑ってはいけないハイスクール」の一部でもこの企画が行われ、田中がタイキック、松本がこちょばしマンの罰を受けた。
[編集] 尾行大作戦
挙動のおかしいメンバーを尾行し、その素行を探る企画。松本はオバサンと不倫し、浜田は風俗に通い、菅プロデューサーは六本木のトップレスバーでボンデージファッションに身を包み、堂々とアメリカンなストリップを披露。田中は松田優作に扮装し、友達と刑事ごっこをしていた。「西部警察」の大門と喧嘩も。最後は「太陽にほえろ!」のジーパンに扮し、殉職。遠藤は乳首を触りながら町をブラブラし、古タイヤをかぶりながら乳首を触るなどの奇行を繰り返した挙げ句、最後は住宅地の塀垣の間で頭上からオッサンにローションをかけられながら悶えつつ昇天。「章ちゃん、カッコいいぜ!!」と介抱された。
[編集] ジミーVS山崎 芸能界仁義なき犬猿の戦いシリーズ
94年頃の名物コーナー。楽屋での喧嘩が発端となり、戦いは徐々にエスカレートしていった。松本は山崎を推し、浜田はジミーを推して、「うちの山崎は○○できんねんぞー!」「え?何を言うとんねん、うちのジミーは△△できんねん」といい、山崎とジミーに色々な対決をさせた。主な対決は瓦割り、牛乳一気飲み、金魚丸飲み、焼肉のタレ一気飲み、楊枝で鼻に穴あけ、さんま生かじり、英語の本読み、泥レス、花火シャワー、蝋攻め、背中で爆竹消し、水中大脱出など。香港でも喧嘩し、ジミーは殴られてもいないのに何故か鼻血を出した。また、収録中に山崎の車(本物)が登場しジミーが山崎に因縁をつけ「お前、天然ボケやからこんな車(当時は中古の国産車)しか乗れんのけ!」といって山崎の車に足蹴りを入れた。山崎もなぜかその反動で自分の愛車を足蹴りし、お決まりの喧嘩に入った。ダウンタウンの二人も「やめろー!」と言ってはいたが、まったく止めに入らず笑い転げていた。その後もジミーが足蹴りを入れたため山崎の車のドア部分は大きくへこみ、爆竹も中に入れられた。松本曰く「あの頃が山崎がよく動いて(リアクションして)いた時期」だとか。
[編集] ブリーフの貴公子 マネージャー岡本怒る!?
1995年から1997年春に掛けて計10回放映。“主演”は当時ダウンタウンのチーフマネージャーを務めていた岡本昭彦(現番組・ソフトウェア関連プロデューサー。ダウンタウンDXなどを担当)。
ある日突然、岡本は不可解な理由で怒り出し、メンバー・スタッフを呼び出す。現場に到着すると、岡本はブリーフ一丁姿で、しかも三毛猫を抱きながら「最近視聴率が悪い」などと説教をはじめる。さらに「何で俺にやらせへんねん!!」と体力系の無茶芸に挑戦すると宣言し、突如劇画タッチの成功イメージ画を披露する。そこに描かれている岡本の姿はめちゃめちゃ男前。こうして岡本は数々の無茶というよりは無謀なチャレンジを試みたものの、悉く失敗に終わり、最後は得てして半泣きで意気消沈してしまう。因みに岡本が猫を抱いていた理由は、曰く「(裸だと)寒いからや!」。
この企画はそもそも「岡本に逆バンジーをさせてみたい」というところから始まり、編み出された企画は「かぐや姫岡本、月に帰る」というもの。しかし「ただ罰ゲームとしてやらせるだけでは面白味が無い」という意見が出たものの、そこから先へはなかなか進めなかった。そんな中業を煮やした松本が「違うんですよ!岡本が怒るんですよ!『何で俺に逆バンジーやらせないんだ』って」という一言を発し、会議は大爆笑の渦に巻き込まれる。この一言で企画全体にストーリー性を持たせることになり「自ら望んで“罰ゲームを受けさせろ”と言い出す狂った奴」を「タレントではなく、一介のマネージャーが演じる」という土台が創られた。これが後にゴールデン2時間特番にまで昇華する“伝説の企画”となり、2007年1月に発売されたDVD・第9巻では特典映像のDisc2に収録された(但し逆バンジー、A 岡本 ハプニング New Yearはカット)。
また、同じくダウンタウンのマネージャーとして1996年から1997年にかけ、ガキの様々な企画に登場した磯俣拓生も、コアなファンの間では岡本と共に「伝説の男」と称されている。まさに彗星のごとく登場し「七変化」「おもろ・おもろないチェック」「食いしん坊バンザイ」など、名シリーズを連発。とりわけ「七変化」は、芸人を除くスタッフの挑戦者の中では類を見ない好成績をマーク。飄々としたデブキャラを生かし、様々なキャラクターを演じた。ドラマ「西遊記」での西田敏行演じる猪八戒、「秘密戦隊ゴレンジャー」のキレンジャー、更には外国人女性とのカラミ2幕では、1回目・痴話喧嘩で女性のマジビンタを食らったかと思いきや、2回目は一転してラブシーン。互いに愛撫しながら「I love you, Isomata...Oh, yeah...」と、女性も先程までの剣幕とはまるで真逆の恍惚の表情を浮かべ、参加者の笑いを誘った。この磯俣の25,000円という成績は、スタッフ内では歴代3位(タレント兼業の堀部を除く、純然たるスタッフでは歴代2位)である。なお、磯俣はダウンタウンの後、ハイヒールのマネージャーなどを歴任している。
岡本、磯俣の個性を生かした企画の成功により、後に藤原寛や田島雄一といったマネージャーが中心となる企画が多数生み出された。
- 1995年3月26日放送 マネージャー岡本怒る!?
- 都内某所の河原にメンバー・スタッフを呼び出した、トランクス姿で三毛猫を抱き、犬を連れている岡本。「ちょっと数字取ったからって、調子乗っとるん違うか!?」と啖呵を切り、「何で俺にバンジーやらせへんねん!!」と無謀なチャレンジを宣言。こうして岡本は逆バンジーに挑戦した。
- 1995年4月23日放送 マネージャー岡本また怒る!?
- 都内某所の公園にまたもメンバー・スタッフを呼び出した、ブリーフ姿で三毛猫を抱いた岡本は「お前ら天狗になってるん違うか!?」と説教を始める。前回放送の逆バンジーで瞬間最高24%をマークしたものの、トークの視聴率が伸びず平均では19.9%に終わったことを槍玉にあげ「(OAでは)俺ばっかり映しとけ!」と、高さ15mの巨大ギロチンに2度挑戦。しかし挑戦後はそのまま放置プレイにされた。
- 1995年5月28日放送 炎のブリーフ男・マネージャー岡本また×2怒る!!
- 都内某所の埠頭にまたまたメンバー・スタッフを呼び出した岡本は、例によって説教を始める。前回のギロチンでまたも瞬間最高21%をマークしたものの、またもトークの視聴率が伸びず平均では15.8%に終わったことを槍玉にあげ「何で編集すんねん! 何でトーク要んねん! 俺が出てたらええやんけ!」と怒りを露にする。岡本は人間大砲の砲弾となり、大砲の先にぶらさがっているバナナを掴み取る人間大砲バナナ取りに挑戦。挑戦前には山崎が岡本の三毛猫を逃がしてしまい、岡本がビンタし説教する一幕があった(これが後々恒例となる喧嘩の端緒)。だが、岡本の挑戦は見事失敗。バナナに手が届くどころか、発射と共に水面へ一直線に飛び込んでいってしまった。岡本は「腰抜けた…」と嘆息。
- 1995年7月23日放送 夏休み企画・マネージャー岡本また×3怒る!!
- この回は30分全編が岡本企画。羽田空港にメンバー・スタッフを呼び出した岡本は「唐突やけど沖縄行く!」と、全員を引き連れて一路沖縄へ。沖縄闘牛ではハリボテの牛の頭を手に、本物の牛と対戦。グズグズの展開ながら見事(?)勝利を果たした。水中吹き矢スイカ割りでは水深5mの海中に素潜りした岡本が、竹製の吹き矢で頭上に吊るされたスイカを射る…はずだったが、息が持たず失敗。収録後、息も絶え絶えの岡本は理想と現実のギャップに打ちひしがれた。浮き島にひとっ飛び! 人間大砲では、碇の被り物を被りロープを着けた岡本が人間大砲の砲弾となり、埠頭から約100m先の浮島に飛んでゆく…はずだったが、前回同様、発射と共に水面へ一直線。
- 1995年9月24日放送 ブリーフの貴公子・マネージャー岡本また×4怒る!!
- この回から、チャレンジにはタイトルが銘打たれる。都内某所の河原にメンバー・スタッフを呼び出した岡本は「数字取ってもおもんない! ダウンタウンおもんない!」と、視聴率にこだわってきたこれまでとは態度を一変。また山崎が現場到着前に「今日は岡本をシバく」と宣言していたのを知るや、突如ビンタの応酬に。岡本のハードな一撃を食らった山崎は腰から崩れ落ちてしまう(この頃から、山崎 vs 岡本の喧嘩が本格化してゆく)。岡本は「前からやりたいと思っていた事があんねん」とシルバーのガウンに身を包むや「俺が猪木になって、モハメド・アリと闘う」と宣言。振り子バンジーの要領で、高さ30mのクレーンに吊られた岡本が振り子状に放たれ、反対側のアリ(の人形)にパンチを入れるというもの。題して闘魂振りこ岡本ボンバイエ。しかしクレーンで吊り上げられる間、岡本は恐怖のあまり「ちょっとすいません…! ちょっと待って下さい!」を連呼。発射された岡本は小学校3年の女の子のように手を縮ませるだけでパンチを入れる余裕すらなく、例によってグズグズのオチに。VTRのラスト、リプレイのBGMには岡本自らアカペラで歌唱する「岡本ボンバイエ」が流された。
- 1995年12月29日放送 (ゴールデンSP)ブリーフの貴公子・マネージャー岡本また×5怒る!!
- ガキのゴールデン枠2時間SP。ゲストにはジミー大西を迎えたものの、特にこれといった企画のアイディアもない。そこへ岡本からの呼び出し。それも何と「香港に来い」というものだった。香港・啓徳空港に着いた山崎は岡本に食って掛かり、そこにジミーも加勢して掴み合いとなるが、最後は山崎が岡本から鳩尾にグーパンチを入れられ、あえなくKO。岡本はまず、大量の爆竹を仕掛けたヘルメットに一斉点火する、題してA 岡本 ハプニング New Yearに挑戦。浜田は爆笑しながら「綺麗やったでぇ!」と大喜びだった。上機嫌の岡本と共に一行は最高級レストランで舌鼓。しかしなぜか急に岡本がいなくなり、「また怒ってる」との連絡が。日も暮れた中、一行を展望台に呼び寄せた岡本は「香港の夜景は汚い。俺がホンマの夜景見せたる!」と豪語し、岡本リー、100万1$の夜景になりたい第一志望遊戯に挑戦。しかし何のことはない、ビルの屋上で全身に付けた豆電球を点滅させるだけというショボいオチだった。翌日、早く帰りたがるダウンタウンにキレた岡本は、一同をビーチに呼び出し、竜の被り物を被って水中の梯子を上下ジグザグに泳いでゆく九龍岡本ほろ酔いはしご酒に挑戦。ところが、竜の被り物を着けた頭は水中に沈める事ができず悪戦苦闘。やむなく被り物を外して挑戦したものの、潜水しては梯子の間から顔を出して息継ぎするだけというグズグズぶり。「辛~」と海の味に閉口したり、水を大量に飲んでゲップしたりと相当に体力を消耗した岡本は帰りの船で落ち込んだ。しかし作家・高須が言う所によると、岡本は挑戦後、「おいしく映ってました?」と高須に聞き、やらしい計算を働かせていたと言う。
- 1996年3月10日放送 ブリーフの貴公子・マネージャー岡本また×6怒る!! それって、日テレ。俺って、岡本。
- 日本テレビのキャンペーンCM「それって、日テレ。」の出演依頼がガキに来たが、そのキャラクターに選ばれたのは何と岡本。意気揚々と三毛猫と共に撮影に臨んだ岡本だが、芸人3人を差し置いてマネージャーがキャラクターになったことが気に食わない山崎は激怒。またもビンタの応酬となるが、例によって山崎は岡本のクリティカルな一撃を食らって倒れ込む。通常バージョンの撮影は、岡本の「それって、日テレ!」の怒鳴りと共に三毛猫の「ニャ~」と鳴くタイミングが絶妙に決まり、一発OK。ところが岡本は「もっと危機感持ってやらなアカンやろ!」と、無茶なシチュエーション下でのバージョンを提案。岡本が巨大水槽に“優雅に”素潜りし、30秒経過後“華麗に”水面に上がるや、ポーズをバッチリ決めて「それって日テレ! 俺って岡本!」と怒鳴りを決めるという、題してグランブルー岡本! 危機感を持って華麗にONCE AGAIN!!。しかし岡本は例によって息が全く持たず、潜水中は必死にもがき続けるばかり。水面に上がった瞬間は半ば溺れかけというありさまで、CMはグズグズの出来上がりとなった。
- 1996年7月14日放送 ブリーフの貴公子・マネージャー岡本また×7怒る!!「ハンガー護身術 ~四十八手~」「岡本 水中チュータコかいな~またかいな~水物かいな~!!」
- 1996年10月27日放送 (浜田病欠緊急特別企画)ブリーフの貴公子・マネージャー岡本また×8怒る「鉄の胃袋なの? 行きでゴックン帰りでゴックン ゴックンゴックン岡本ゴックンロール!!」
- 1997年4月20日放送 岡本vs磯俣 三本勝負!! 日テレちゃんは岡本ちゃん。
- 岡本が、本社に異動になる磯俣と「そんなあなたも、日テレちゃん。」キャンペーンCMの出演権をかけて最終決着。「たびたび蹴られて夢の旅 カキクケキック対決!!」「ビンタのビの字はビッグのビ あいうえおかもとバビブベビンタ対決!!」「吉本名物もぎたてパンツもぎ取り対決!!」で対戦するも悉く磯俣が勝利。しかし「俺の方が先輩やから」という理不尽な理由で岡本が出演権を強奪。直後に行われた撮影では、樽いっぱいの水を被るなど身体を張った。
[編集] 松本人志真剣白刃取りに挑戦!シリーズ
93~94年ごろの名物企画。白装束姿の松本が、浜田の振り落とす刀を両手で止めるという危険な技に挑戦した。第一弾はビニールの刀を使ったため、「刀がおかしい」と抗議が殺到した。そのため第二弾を行ったが、今度はヘルメットをかぶったので「髪型がおかしい」と抗議が殺到。浜田はもうやめようとスタッフに伝えるが、菅プロデューサーは視聴率がいいという理由で強引にやらせる。第三弾は映像を逆回しにしたため抗議が殺到し、第四弾は映像を早回しにしたためやはり抗議が殺到。第五弾は途中で停電などが起き、うやむやのまま終了した。菅プロデューサーは「今までの君達は鳴かず飛ばずの大した事のないタレントだったけど、白刃取りのおかげでスターになった」と、この企画をよく引き合いに出していた。
[編集] 歌とお喋りの夕べ・ダウンタウンディナーショー
ダウンタウンの二人が日ごろのスタッフの労をねぎらおうと、ディナーショーを開催。しかし歌う歌詞の内容とリンクした仕掛けがスタッフを襲った。例えば沢田研二の「ストリッパー」では服を脱がされ、「巨人の星」では高松英郎に机をひっくり返された。「味噌汁の歌」では体中に味噌汁がかけられ、「あずさ2号」では上空からあずさ2号が落とされ、大爆発が起きた。「氷雨」では文字通り冷たい水を浴びせられ(事前の打ち合わせではお湯を浴びせるとの説明を受ける)、そのどさくさに紛れて島田洋七が下半身を露出した。その他は放水攻め、巨大扇風機、爆発攻めなど。単行本・「軌跡」の中のインタビューで、近年、浜田が再びこの企画を提案した所、もう年という事でスタッフからは大反対が起きたとの記述がある。会場は主にさがみ湖ピクニックランドで行われた。
[編集] 叩いてさあ何点?
93~94年頃のコーナー。ゲストを招きトークを行うのだが、その際ゲストを何回叩いたかで点数を競い合った。まず何をしたら何点になるかを決め合う。普通に叩いたら1点、ほっぺにキスが5点、胸を揉んだら50点、スネを蹴るが100点など。加賀まりこに対しては、東京都指定の透明ごみ袋をかぶせたら(当時、加賀はこのごみ袋のPRコマーシャルに出演していた)2万点が加算された。その他大技をかますと1~5万点が入った。このコーナーでは、浜田が、大技をいつも多くかますため、毎回圧倒的な勝利を得ていた。他に出演したのは和田勉、ガッツ石松、志茂田景樹、野坂昭如。ゲストが帰った後、結果発表が行われるのだが、加賀まりこには企画がばれてしまい(結果発表の最中に加賀がスタジオに入ってきた)、ダウンタウンの二人は冷や汗をかいた。が、浜田が咄嗟の機転で「(得点表示を見ながら)キミ、たくさん貯金あんねんな」と呟き、爆笑を誘った。
[編集] 芸能界好き嫌いどっちやねん?
93~94年頃のコーナー。ダウンタウンの二人が、「好き・嫌い」と書かれたボードにアットランダムに写真パネルを貼り付けていく(ただし何の写真があるかはシールで隠されており二人には分からない)。そしてシールをはがし、その芸能人が好きな理由・嫌いな理由を嫌でも紹介する。当時ダウンタウンが嫌っていたタレントの写真が出たときは、当然ピーの嵐でモザイクがかかりまくっており、「もう僕はこいつを殺したいくらい好き」などと言いながらその写真パネルを蹴る、殴る、破るなど暴れ放題だった。またタレントだけでなく、テレビ番組のタイトルの場合もあり、その番組が好きな理由、嫌いな理由を答えた。
[編集] 屁こき企画
- 元々制作費の少ない「ガキ」だが、そこで大規模な企画をしてしまうと金はすぐそこを突く。1993年6月27日、前週のディナーショーで金は底を突いたため、仕方なく誰かが屁をこいたら企画終了という、バラエティ番組史上最もチープな企画が生まれた。誰かが屁をこくとチアリーダー達によるダンスや行進曲が披露される。浜田が2発をこくという頑張りを見せたのに対し、松本はOKが出た後屁をこいた。同様の企画として「金がないのでおしっこを出そう」も放送された。
- 時を経て2004年11月21日、屁をこいた者だけが料理を食べられる最高級フレンチレストラン「ヘマチ・ド・パリ」に五人は招待され、すさまじい屁こき対決が繰り広げられた。時を経ても浜田の強さは衰えず、一人5発をかまし、みごとフレンチのフルコースを平らげ、松本から「ラストヘンペラー」の称号を受けた。その他の結果は松本:2発 山崎:2発 遠藤:1発 田中:1発。
- 3ヵ月後の2005年2月6日、今度は高級寿司店「すし屁ぇ」に招待され、ここでも浜田の強さが発揮されるかと思いきや山崎が大ハッスル。何と一人で7発をかまし、中トロ、大トロのあぶり、ウニ、エビ、茶碗蒸し、デザート二品を平らげた。ここでも松本から「ヘンリー王子」の称号をもらう。その他の結果は松本:3発(中トロ、アナゴ、サラダ巻き) 浜田:2発(大トロのあぶり、寒ブリ) 遠藤:0発 田中:0発。
- 毎回収録に参加できない菅から五人に手紙が手渡され、そこには「ぜひ日ごろのガス抜きを楽しんで下さい。ガス抜きだけにガースー抜きで。」と書かれており、浜田から手紙を捨てられる。
[編集] その他
ここでは2回以上放送された企画を挙げる。
- 1000人企画
- 「1000人で何かをやったら面白いかもしれない」という考えで「対決&罰ゲームシリーズ」にもなった「1000人ドッジボール」や、1000人の金八先生がそろった「1000人金八」などが放送された。
- 芸能人お前そうちゃうんかグランプリ
- じっちゃんばっちゃんかくれんぼ
- 浪越徳次郎と小森和子が出演。松本が二人を色々な場所に隠し、浜田が探す。しかし圧倒的な二人の存在感によりすぐに見つかってしまう。
- 松本人志スタントシリーズ
- 炎の大脱出、バイクで階段のぼり、ローラー車にひかれる、人食い鮫や熊と対決など。ガキの使いにおける「ドキュメンタリーコント」のはしりともいえる企画。
- 松本人志社会を斬る!
- 松本が日常生活の謎を暴くシリーズ。「角度の浅いおたまかけは命に関わる!」「車止めがなければどんな恐ろしい事が起きるか?」「加藤剛似の出前のオッサンがいた!」などを検証。この企画から限界シリーズが生まれた。
- 山崎邦正に笑いの神は降りるか?
- 笑いの神が降りて来ないと嘆く山崎が色々なシチュエーションで実験。結局全く降りなかった。
- 山崎クエスト お宝を探せ!
- 山崎が何故か「怪盗ジルバ」というキャラクターに扮し、他のメンバーに「これる物なら来い」と呼び出し、ロールプレイングゲームの要領で遊園地の隅々に隠された謎解きをさせる。しかし散々苦労した挙句お宝を集めて見れた物は、山崎による「松浦亜弥のコンサート」や「ミスワールドコンテスト」の1シーンという寒々しい芸であった。
- ヘイポー人体実験
- ヘイポーが宇宙人や殿様、赤ちゃんになり、メンバーに色々な人体実験をされる。
- ヘイポーお見合い
- いくつになっても結婚できないヘイポーにお嫁を見つけてあげようという企画。
- ヘイポーときめきデート
- ヘイポーと女性有名人が『恋するハニカミ』のような擬似デートをする企画。しかし数々のセクハラ行為に加え、相手を侮辱した謝罪文を書き、さらに彼女達を激怒させた。
※上記三企画の詳細は斉藤敏豪の項を参照。
- ピクニック
- スタッフを率いピクニックへ。各自手作りの弁当を披露し合い、その不出来さを笑いあう企画。
- 芸能人チ○コ測定
- 特殊な測定機を使い、男性芸能人のモノがどれほどのものなのかを、キュウリやナス、単三電池といった代用品で視聴者に教えるコーナー。
- 顔面一変化
- ゴッホ松本VSバカ画伯浜田 お絵かき対決
- テーマに沿った絵を描き、上手さを競う。浜田の驚愕の絵が次々と飛び出し、以後大喜利などでもお絵かきのコーナーが人気に。
- ミニゆうえんち
- 遠藤たけしシリーズ
- 毎回悩める子供(引き篭もり、入院中、ガキの使いのファンだが放送区域外に引っ越してしまうなど)を持つ母親から番組宛に葉書が届き、その子供達を励ますために遠藤が延々とビートたけしの物真似をする。このときの遠藤はブリーフ姿。
- 涙のお別れコンテスト
- ダウンタウンが死んだと仮定し、誰が一番二人の事を想っているかをダウンタウンが採点し、競う企画。第一回は浜田の臨終でのリアクションを競い田中が優勝。第二回は松本の葬式でのリアクションを競って大道具の入江が優勝。