山陽本線優等列車沿革
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山陽本線優等列車沿革(さんようほんせんゆうとうれっしゃえんかく)とは、山陽鉄道による開業より山陽本線を経由して運行された特急列車・急行列車・準急列車の運行の沿革を主に記載する。
目次 |
[編集] 除外される事項
なお、以下のものについては、2007年現在運行されているないしは、それとの関連性が高いものについては記載を除外しているものがある。また、主に東京圏を始発・終着とし、東海道本線から直通した列車に関しては東海道本線優等列車沿革の項目も参照されたい。
- 山陽本線(在来線)の別線とされた山陽新幹線(新幹線)の列車群・・・当該項目及び「のぞみ」・「ひかり」・「こだま」の各列車項目。
- 主に宇野線・宇高航路を介しての本州対四国連絡列車・・・マリンライナー (列車)。
[編集] 列車の沿革
[編集] 山陽鉄道
- 1888年(明治21年)11月 現在の山陽本線を建設・運営した私鉄である「山陽鉄道」が、初の開業区間である兵庫駅~明石駅間を開通させる。
- 1889年(明治22年)9月 山陽鉄道は神戸駅~兵庫駅間を開業させ、官営による現在の東海道本線と連絡するようになった。
- 1894年(明治27年)10月 山陽鉄道が、神戸駅~広島駅間(この年6月に開業)に日本初の長距離急行列車を運行開始。この当時は急行料金は徴収せず、普通列車同様乗車券のみで乗車できた。神戸~広島の所要時間は上下列車それぞれ8時間47分・56分であった。
- 1895年(明治28年)10月 急行列車は官営鉄道東海道本線に乗り入れ、関西の発着駅を京都駅とする。(後には大阪駅発着の列車も設定)
- 1899年(明治32年)5月 当時昼行・夜行あわせて4往復あった急行列車の内1往復に日本初となる食堂車を連結。
- 1900年(明治33年)4月 夜行急行列車1往復に、日本初となる寝台車を連結。
- 1901年(明治34年)5月 山陽鉄道が神戸駅~下関駅間を全通させる。4往復の直通急行列車が設定され、うち1往復は「最急行」と呼ばれ特に高速で走った。神戸~下関間の最急行の所要時間は上下それぞれ12時間35分・40分であった。
- 1903年(明治36年)2月 最急行は神戸~下関間の所要時間を上下それぞれで11時間30分・20分にまで短縮、日露戦争前の最高記録となった。
- 1904年(明治37年)7月 日露戦争勃発の影響により、急行列車が全廃。
- 1905年(明治38年)8月 官営鉄道の東海道本線と乗り入れ、新橋駅~下関駅間直通の急行列車を登場させる。しかしながら時期尚早だったのか、3ヶ月で廃止となった。新橋~下関の所要時間は上下それぞれ35時間16分・5分だった。
- 1906年(明治39年)4月 「最急行」が復活、しかし神戸~下関間の所要時間は13時間30分前後と戦前よりだいぶ遅くなった。
- 1906年(明治39年)12月 山陽鉄道、 鉄道国有法の公布により国有化。
[編集] 鉄道国有化後
- 1907年(明治40年)3月 新橋駅~下関駅間に直通の急行列車である5・6列車を設定。全区間所要時間は上下それぞれ26時間55分・28時間45分であった。
- 1912年(明治45年)6月 新橋駅~下関駅間に、日本初となる「特別急行列車(特急列車)」の1・2列車が運行を開始した。この列車に乗るには乗車券の他に特別急行券を必要とし、山陽本線では初の有料速達列車となった。新橋~下関間の所要時間は上下がそれぞれ25時間8分・15分であった。
- 1919年(大正8年)8月 東京駅(1914年<大正3年>12月に開業し、新橋駅に代わる東京のターミナル駅となった。)~下関駅間にそれまでの食堂車が高級な「洋食堂車」であったのに対し、大衆向けの「和食堂車」を連結した急行列車である、3・4列車が設定される。
- 1923年(大正12年)7月 東京駅~下関駅間に、それまでの特急列車であった1・2列車が一等車・二等車のみの編成だったのに対して、大衆が利用していた三等車のみで編成された特急3・4列車が新設される。食堂車も1・2列車が洋食堂車だったのに対して、3・4列車は和食堂車だった。
[編集] 戦前黄金時代
- 1929年(昭和4年)9月 1・2列車に「富士」、3・4列車に「櫻」という愛称が付けられた。これが日本における「列車愛称」の始まりである。
- 1930年(昭和5年)10月 「富士」・「櫻」ともに大幅なスピードアップが図られる。
- 1934年(昭和9年)12月 山陽本線の麻里布駅(現、岩国駅)~櫛ヶ浜駅間のルートは、それまで海岸沿いの柳井駅を経由するものであったが、 この時山沿いを経由する路線(岩国駅(現、西岩国駅)・周防花岡駅経由、現在の岩徳線ルート)が完成して同経路が新しく「山陽本線」とされ、旧ルートは支線の「柳井線」となった。これに伴うダイヤ改正では特急「富士」・「櫻」は新ルート経由となったが、急行列車は新ルートの線路容量が単線で少ないことや、勾配が若干急であること(最大10‰(パーミル)、1000mあたり10mの高低差)、港町であった柳井の重要性が今だ高かったことなどから、全3往復の内1往復は柳井線経由で残された。またこの時東海道本線や長崎本線でも大幅なルート変更が行われており、日本各地のどの優等列車も軒並みスピードアップされた。そしてこの頃が、戦前の鉄道黄金期であった。この改正当時の山陽本線優等列車の概要は、下記の通りである。
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- 特急列車 下記の2往復。
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- 急行列車 3往復設定。いずれも東京駅~下関駅間の設定で、1往復(9・10列車)は山陽本線内で夜行運転、残り2往復(5・6列車、7・8列車)は昼行運転であった。うち7・8列車と呼ばれる1往復は、「富士」同様国際連絡運輸の一環をなしていて、山陽本線の優等列車では「富士」以外では唯一の洋食堂車を連結し(他列車はすべて和食堂車)、一等展望車も連結していた。また下りの5列車と上りの8列車は、前述した柳井線を経由する列車であった。
- 1935年(昭和10年)11月 呉線の三原駅~海田市駅間が全通し、急行7・8列車が同線経由となる。以後呉線は、山陽本線が瀬野駅~八本松駅間に22.6‰(1000mあたり22.6mの高低差)の「瀬野八」と呼ばれる急勾配区間を抱えていて、補機(補助機関車)を必要とするなど輸送力の障害となっていたことなどから、同線のバイパスルートとしての役割も担う事になった。
[編集] 戦時・戦後
- 1940年(昭和15年)10月 1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を契機に勃発した日中戦争の戦況が泥沼化してきていたこの月にダイヤ改正が行われ、大陸方面への往来需要が増加したので急行列車が増発された。
- 1942年(昭和17年)11月 昨年12月に勃発した太平洋戦争が深刻化する中、 この年6月に関門トンネルが開通し下関駅~門司駅間が山陽本線に組み入れられた。関門トンネルでの旅客列車の運行が開始されたこの11月に実施されたダイヤ改正では、それまで下関駅どまりであった列車の多くが九州へ足を進めるようになった。なお特急「富士」は長崎駅まで足を伸ばすようになったが、「櫻」は鹿児島駅まで足を延ばすものの、急行列車に格下げとなった。(7・8列車)
- 1943年(昭和18年)2月 戦況が悪化はじめた中でダイヤが改正され、石炭・戦時物資輸送の貨物列車が増発される一方で、旅客列車が大幅に削減される事となった。
- 1943年(昭和18年)7月 それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」と呼ぶようになった。
- 1943年(昭和18年)10月 列車がまた大幅に削減され、「富士」は博多駅打ち切りとなった。
- 1944年(昭和19年)4月 「決戦非常措置要綱」に基くダイヤ改正が行われ、「富士」が廃止されて特急が全廃となり、そのほかにも展望車・一等車・食堂車・寝台車が消滅した。
- 1944年(昭和19年)10月 輸送力増強のため、岩国駅~櫛ヶ浜駅間で勾配が緩い柳井線を複線化して再び山陽本線とし、それまでの山陽本線は支線の岩徳線へ格下げとなった。
- 1945年(昭和20年)3月 また列車が削減され、山陽本線、いや日本全国での優等列車は、東京駅~下関駅間運行の急行1・2列車のみとなる。
- 1945年(昭和20年)6月 1・2列車、運行区間を門司駅まで延長。
- 1945年(昭和20年)11月 東京駅~広島駅間に1往復の急行を設定。しかし1ヵ月後には石炭事情悪化で休止となり、その後も列車の増発と削減が繰り返された。
- 1947年(昭和22年)1月 急行列車と二等車が全廃される。
- 1947年(昭和22年)4月 東京駅~博多駅・門司駅間に1往復ずつ、計2往復の急行列車が復活。この後は、各線で急行列車・準急列車が新設・増発されるようになった。
- 1948年(昭和23年)7月 このとき実施されたダイヤ改正で、東京駅~広島駅間に呉線周り1往復の不定期急行列車、東京駅~門司駅・広島駅間に1往復ずつの計2往復、大阪駅~長崎駅間に1往復、京都駅~門司駅間に1往復の、計4往復の不定期準急列車が設定される。その一方で、急行列車の速度が一部低下した。
[編集] 復興・発展
- 1948年(昭和23年)12月 東京駅~鹿児島駅間運転の急行1・2列車に「特別寝台車」(翌年5月、「一等寝台車」となる)を連結。寝台車が復活した。
- 1949年(昭和24年)9月 このときのダイヤ改正で、1・2列車に食堂車を連結。食堂車も復活。
- 1950年(昭和25年)11月 この年10月実施のダイヤ改正に続いて、この時それまで特急列車に限られていた列車愛称が、急行列車にも付けられることとなり、東京駅~熊本駅間運転の31・32列車に「阿蘇」、同鹿児島駅間運転の33・34列車(この1月前に行われた時刻改正で、1・2列車から列車番号が変わった)に「霧島」、同長崎駅間運転の35・36列車に「雲仙」、同博多駅間運転の37・38列車に「筑紫」、同広島駅間運転の39・40列車に「安芸」とそれぞれ命名。大阪駅~広島駅間に準急307・308列車新設。
- 1951年(昭和26年)4月 大阪駅~博多駅間に、臨時急行3033・3034列車を運行開始。関西から九州へ向かう夜行急行列車が誕生した。
- 1951年(昭和26年)11月 それまで京都駅~博多駅・都城駅間にて設定されていた準急205・206列車から分離して、「阿蘇」に東京駅~門司駅間にて併結する形で、東京駅~都城駅間に急行「たかちほ」を設定。
- 1952年(昭和27年)4月 連合軍専用列車として運行されていた列車が日本人にも一部開放され、それらの列車は「特殊列車」と呼ばれた。
- 1952年(昭和27年)9月 臨時急行3033・3034列車は定期急行に格上げられ、「げんかい」と命名された。
- 1953年(昭和28年)3月 京都駅~博多駅間に特急「かもめ」を運行開始。1944年に「富士」が廃止された後、9年ぶりに山陽本線に特急列車が復活した。「げんかい」は、東京駅~博多駅間運行となる。
- 1954年(昭和29年)10月 「特殊列車」が普通の臨時急行列車に転換され、そのうち東京駅~佐世保駅間を運転していたものに「西海」、東京駅~博多駅間を運行していたものに「早鞆」と命名。「筑紫」は鹿児島駅までの運転となり、夜に出発して翌々日朝に目的地に到着するという夜行二泊の列車となった。
- 1955年(昭和30年)7月 「げんかい」は、漢字書きの「玄海」となる。また同月、一等寝台車が利用率の悪かったことから廃止され、それまでの一等寝台は二等寝台A・B室、それまでの二等寝台は二等寝台C室となる。
- 1955年(昭和30年)10月 中国地方から九州への便を図るべく、広島駅~門司駅間に臨時準急3207・3208列車を設定。
- 1956年(昭和31年)11月 このダイヤ改正では、まず東京駅~博多駅間に、特急「あさかぜ」を運行開始。優等列車では初めて関西圏を深夜通過し、また関東~山陽・九州間を結ぶ特急としては前述した「富士」以来12年ぶりの復活であった。東京駅~博多駅間の所要時間は17時間25分で、戦前「富士」20時間3分の水準を、この時東海道本線の全線電化が完成したこともあって大幅に引き離した。なお、当時の急行列車は同区間に21~25時間を要した。
他にも、「あさかぜ」に輸送を譲る形でそれまでの「玄海」は廃止され、新たに新設された京都駅~長崎駅間の急行列車が「玄海」とされたり、京都駅~熊本駅間に急行「天草」が新設(同年3月から臨時列車として運行されていたものを定期格上げ)される、「西海」が定期列車になる、3207・3208列車が定期405・406列車となって長崎駅行きとなる、京都駅~広島駅間(呉線経由)に準急305・306列車が新設されるなどの動きがあった。
なお「たかちほ」は、漢字書きの「高千穂」へ表記を改められて西鹿児島駅(現、鹿児島中央駅)行きとなり、日本最長距離運転の急行列車となった。さらにこの時定期化された「早鞆」が「筑紫」に改称し、それまでの「筑紫」は「さつま」となった。このダイヤ改正時の優等列車の様子は下記の通りである。またこの年7月に経済企画庁(現、経済産業省・内閣府)は経済白書で「もはや戦後ではない」と説き、日本は戦後復興から高度経済成長の時代へ突入していく事になった。
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- 特急列車 2往復
- 「かもめ」 京都駅~博多駅間運転。昼行特急。
- 「あさかぜ」 東京駅~博多駅運転。夜行列車で、関西圏を深夜通過する時刻設定であった。
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- 急行列車 10往復
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- 準急列車 3往復
- 305・306列車 京都駅~広島駅間運転。昼行。
- 307・308列車 大阪駅~広島駅間運転。夜行。
- 405・406列車 広島駅~長崎駅間(大村線経由)運転。昼行。
[編集] 新幹線以前の黄金時代
- 1957年(昭和32年)7月 東京駅~博多駅間に、「あさかぜ」の補助列車として臨時特急「さちかぜ」を設定。
- 1957年(昭和32年)10月 「さちかぜ」の運行区間を東京駅~長崎駅間となった上で定期列車に格上げ。「玄海」は「桜島」と改称し、東京駅~鹿児島駅とする。
- 1958年(昭和33年)10月 「あさかぜ」に寝台特急専用車両である20系客車を用いはじめる。それによって余剰となった客車を用いて東京駅~鹿児島駅間に特急「はやぶさ」を設定。これによって「さつま」は、門司港駅始発と大幅に区間短縮。その本州部分時間帯での代替列車として、広島駅~門司駅間に準急407・408列車が設定された。「桜島」も博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。また「さちかぜ」は名前が「あさかぜ」と紛らわしく、それでいて「あさかぜ」と30分間隔で運行されていたことなどから、誤乗が絶えなかったこともあって「平和」と改称。305・306列車は急行列車に格上げられ、「宮島」と命名。
- 1959年(昭和34年)7月 「平和」に20系客車を導入。これにより、「さくら」に改称する。京都駅~大分駅間に、「天草」に門司駅まで併結される形で急行「くにさき」を新設。
- 1959年(昭和34年)9月 307・308列車に「ななうら」、405・406列車に「ふたば」、407・408列車に「長門」と命名。
- 1960年(昭和35年)6月 岡山駅~博多駅間に気動車急行「山陽」新設。キハ55系を使用した。先月に博多駅発着となっていた「ふたば」はそれに道を譲って廃止。東京駅~西鹿児島駅間に不定期急行列車「桜島」も設定された。また、「くにさき」は都城駅行きとなって「日向」と改称された。気動車による準急列車では、岡山駅~広島駅間(呉線経由)に「吉備」、岡山駅~岩国駅間に「にしき」も新設。
- 1960年(昭和35年)7月 「はやぶさ」の運行区間を東京駅~西鹿児島駅間に変更し、同時に20系客車を導入。また、等級制度の改変によりそれまでの一等車が廃された上で、二等車が新しく一等車に、三等車が二等車になった。
- 1961年(昭和36年)10月 「サン・ロク・トオ」と年月を取って呼ばれる様になるほどの、1950年(昭和25年)10月以来というべき大規模なダイヤ改正が行われ、全国各地で特急・急行・準急列車が大増発となる。日本の動脈というべき東海道本線と山陽本線においては、それが特に力を入れて実施されることとなった。
まず特急列車においては、「かもめ」がキハ82系を用いて気動車化され、京都駅~宮崎駅・長崎駅間(門司駅まで併結)運転となった。さらには、同じ気動車を用いて大阪駅~広島駅間に「へいわ」、大阪駅~博多駅間に「みどり」(運行開始は12月)も設定された。また、毎日運転の不定期列車として東京駅~熊本駅間に「みずほ」も新設されている。
急行列車では、広島駅~別府駅間に気動車急行「べっぷ」、名古屋駅~鹿児島駅間に「さつま」、東京駅~大分駅間に「ぶんご」(門司駅まで「筑紫」と併結)、大阪駅~熊本駅間に寝台専用列車の「ひのくに」、大阪駅~佐世保駅間に「平戸」、大阪駅~広島駅間に「音戸」といった列車が新設され、「雲仙」と「西海」は併結運行となった。また不定期では、大阪駅~博多駅間に「はやとも」、大阪駅~南延岡駅間に「第2日向」、大阪駅~長崎駅間に「第2玄海」も新設。「阿蘇」は名古屋駅発着に、「玄海」も長崎駅発着に変更。「宮島」は気動車化。
準急列車では、東海型電車とよばれた153系電車によって大阪駅~三原駅間に「びんご」(三原駅まではこの時電化)、キハ55系気動車によって広島駅~小郡駅(現、新山口駅)間に「周防」が新設され、「長門」も気動車化の上で小倉駅行きとなった。この結果、山陽本線の優等列車は下記のようになった。またこの時、急行形のキハ58系気動車が「山陽」などで運行を開始した。
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- 特急列車 定期5往復・不定期1往復
- 「かもめ」 京都駅~長崎駅・宮崎駅間運転。気動車昼行。
- 「みどり」 大阪駅~博多駅間運転。気動車昼行。
- 「あさかぜ」 東京駅~博多駅運転。寝台特急。
- 「はやぶさ」 東京駅~西鹿児島駅運転。寝台特急。
- 「さくら」 東京駅~長崎駅運転。寝台特急。
- 「みずほ」 東京駅~熊本駅運転。不定期夜行(実質は毎日運行)。
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- 急行列車 定期15往復・不定期4往復
- 「べっぷ」 広島駅~別府駅間運転。気動車昼行。
- 「山陽」 岡山駅~博多駅間運転。気動車昼行。
- 「安芸」 東京駅~広島駅間(呉線経由)運転。山陽区間昼行。
- 「筑紫」・「ぶんご」 東京駅~博多駅・大分駅間運転。山陽区間昼行。
- 「さつま」 名古屋駅~西鹿児島駅間運転。山陽区間昼行。(京都駅~岡山駅間で大社駅行きの「だいせん」併結)
- 「宮島」 大阪駅~広島駅間(呉線経由)運転。気動車昼行。
- 「霧島」 東京駅~鹿児島駅間運転。山陽区間夜行。
- 「日向」 京都駅~都城駅間運転。山陽区間夜行。
- 「ひのくに」 大阪駅~熊本駅間運転。山陽区間夜行。
- 「雲仙」・「西海」 東京駅~長崎駅・佐世保間運転。山陽区間夜行。
- 「玄海」 京都駅~長崎駅間運転。山陽区間夜行。
- 「天草」 京都駅~熊本駅間(筑豊本線経由)運転。山陽区間夜行。
- 「平戸」 大阪駅~佐世保駅間運転。山陽区間夜行。
- 「阿蘇」 名古屋駅~熊本駅間運転。山陽区間夜行。
- 「高千穂」 東京駅~西鹿児島駅間(日豊本線経由)運転。山陽区間夜行。
- 「桜島」 東京駅~西鹿児島駅間運転。不定期の山陽区間夜行。
- 「はやとも」 大阪駅~熊本駅間運転。不定期の山陽区間夜行。
- 「第2日向」 京都駅~南延岡駅間運転。不定期の山陽区間夜行。
- 「第2玄海」 京都駅~長崎駅間運転。不定期の山陽区間夜行。
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- 準急列車 6往復
- 「吉備」 岡山駅~広島駅間(呉線経由)運転。気動車昼行。
- 「長門」 広島駅~小倉駅間運転。気動車昼行。
- 「周防」 広島駅~小郡駅間運転。気動車昼行。
- 「にしき」 岡山駅~岩国駅間運転。気動車昼行。
- 「びんご」 京都駅~三原駅間運転。電車昼行。
- 「ななうら」 大阪駅~広島駅間運転。夜行。
- 1962年(昭和37年)4月 広島以西に重点を置いた時間帯設定であった「周防」の利用率が高かったことから、その増発も兼ねて広島駅~下関駅間に準急「やしろ」新設。「周防」も2往復に増発された。
- 1962年(昭和37年)6月 山陽本線が広島駅まで電化されたのを受け、ダイヤが改正される。東京駅~大阪駅間を運転していた特急「つばめ」2往復の内、1往復が広島駅行きとなり、代わりに「へいわ」が運転開始から僅か8ヶ月で廃止となった。「宮島」も呉線から山陽本線経由となり、さらに2往復に増発された上で電車化されて東京駅~広島駅間運転(東海道区間で昼行・夜行が1往復ずつ)となった。「びんご」は2往復に増発。「にしき」は呉線経由となる。
- 1962年(昭和37年)10月 「音戸」、下関駅まで運転区間を延長。「みずほ」は定期列車に格上げ。「さつま」と「だいせん」の併結運行を廃止。「安芸」は寝台列車化された。
- 1963年(昭和38年)4月 岡山駅~広島駅間に、80系電車を使用して準急「とも」2往復新設。
- 1963年(昭和38年)6月 「みずほ」に20系客車を導入。同時に大分駅発着編成を連結するようになる。また小倉駅まで「べっぷ」と併結する形で、広島駅~長崎駅間に気動車急行「出島」新設。
- 1963年(昭和38年)10月 大阪駅~西鹿児島駅間に、寝台急行「しろやま」新設。同列車は、九州の重要地である福岡市などを深夜に通過するという、斬新なダイヤを組んだ。
- 1964年(昭和39年)3月 「べっぷ」と「出島」が分離され、「出島」は呉線の呉駅発着となった。
[編集] 東海道新幹線開業
- 1964年(昭和39年)10月 この月の1日に東海道新幹線が開業し、それに伴って山陽本線には「新幹線との連絡輸送」という新しい使命が生まれた。同時に山陽本線の全線電化も完成し、当然ながら輸送形態は大きく変わることとなった。
これに伴って実施されたダイヤ改正により、まず特急列車では、「つばめ」・「はと」が1往復ずつ151系電車を使用して新大阪駅~博多駅間に設定され、それまでの東海道特急から「東海道新幹線の連絡列車」として生まれ変わった。さらに同じ車両を使った新幹線の接続列車として、新大阪駅~下関駅間に「しおじ」も新設されている。しかしながら東京駅~広島駅間運転時代の「つばめ」もそうであったが、前述した「瀬野八」の急勾配を151系では出力不足のため自力で登る事ができず、特急といえども153系・80系を使用した急行・準急同様、この区間の上り列車においてはEF61形などの補機の世話になる事になった。また「つばめ」・「はと」は交流電化の九州区間にも乗り入れたが、151系は直流電化区間用の車両であるため、この区間では交流用電気機関車に牽引されて走行する事になった。前者の問題は151系の出力を向上させた181系電車に改造される1966年(昭和41年)8月まで、後者の問題は交直流電車であり、出力も151系電車より大きく、瀬野八の補機連結を不要にした481系電車に置換えられる1965年(昭和40年)10月まで続いた。他には、「みどり」が運転区間を新大阪駅~熊本駅・大分駅間(小倉駅まで併結)に改めたり、「みずほ」の大分駅発着編成を分離し、「富士」が運転開始されるといった動きがあった。
急行列車では、「しろやま」・「音戸」が新大阪駅始発となり、「筑紫」・「ぶんご」は廃止された。「宮島」も再び大阪駅~広島駅間運転となった。また、昼行の客車列車として大阪駅~博多駅間に「つくし」、153系電車を使用して大阪駅~下関駅間に「関門」も新設されている。 - 1965年(昭和40年)3月 「やしろ」は80系電車化され、同時に岡山駅~下関駅間運転となった。
- 1965年(昭和40年)10月 新幹線の本格稼動(東京~大阪間の所要時間を、当初の4時間から計画通りの3時間10分にする)を翌月に控え、全国規模のダイヤ改正がこの時行われた。山陽本線でも前年に続き、大規模な変動があった。
特急列車では、まず前述の通り「つばめ」・「はと」が481系電車に置き換えられ、同時に「つばめ」の運転区間が名古屋駅~熊本駅間に拡大された。そして「しおじ」は2往復になり、新大阪駅~広島駅間に電車特急「しおかぜ」2往復、大阪駅~都城駅間に気動車特急「いそかぜ」1往復、新大阪駅~長崎駅・西鹿児島駅間に寝台特急「あかつき」も新設されている。「富士」は日豊本線経由東京駅~西鹿児島駅間となり、日本最長距離運転の特急列車となった。「みどり」は運転区間を新大阪駅~大分駅・佐世保駅間に改める。
急行列車では、新大阪駅~博多駅間に寝台急行「海星」、新大阪駅~宮崎駅間に夜行の「夕月」、それまでの「山陽」を引き継いだ上で、475系電車を使って岡山駅~熊本駅間に区間延長した「有明」、それまでの準急「長門」を改称して博多駅までの区間延長と電車化を行った(新)「山陽」、準急「やしろ」を急行に格上げした「みずしま」が新設された。しかしながら「みずしま」の停車駅は準急時代とさして変わらず、“単なる料金値上げ”だと揶揄された。他には、「関門」・「つくし」が2往復(「関門」1往復と「つくし」1往復の下関駅~博多駅間の運転開始は12月)に増発されたり、「宮島」がそれら九州方面列車の増発に伴って1往復となる、「べっぷ」がそれまでの「にちりん」(博多駅・門司港駅~西鹿児島駅間運転)と結ばれ、広島駅・門司港駅~西鹿児島駅間運転の急行「青島」となる、「さつま」が系統分割されて、山陽区間においては名古屋駅~博多駅間運転の電車急行「はやとも」となる、といった動きがあった。
準急列車では、「やしろ」が再び広島駅~下関駅間運転の列車として2往復新設され、その代わりに「周防」が1往復削減された。 - 1966年(昭和41年)3月 国鉄の制度改正により、運転距離が100kmを超える準急列車はすべて急行列車に格上げられる事となったため、「吉備」・「にしき」・「とも」・「やしろ」・「周防」・「ななうら」といった山陽本線の準急列車は全部急行列車となる。修学旅行列車「わこうど」の季節間合いを使用して、東京駅~下関駅間に臨時急行「長州」新設。
- 1966年(昭和41年)10月 下りの「とも」・「やしろ」1本ずつを統合して「みずしま」としたため、「とも」・「やしろ」は下り1本・上り2本、「みずしま」は下り2本・上り1本となる。
- 1967年(昭和42年)10月 新大阪駅~博多駅間でそれまでの寝台急行「海星」を格上げし、世界初の電車寝台列車となる「月光」が運転を開始。車両は新規に開発された581系電車を使用し、ここから581系と翌年に登場した改良型である583系電車は「月光型電車」と呼ばれるようになった。また、それまでの観光団体専用列車を普通急行列車に転換する形で、東京駅~長崎駅・大分駅間に臨時の急行列車「五島」・「くにさき」(門司駅まで併結)を新設。「有明」は九州内に新設される事になった特急列車の名に転じ、岡山駅~熊本駅間急行は「しらぬい」と改称。「みどり」は日豊本線が幸崎駅まで電化された事により新大阪駅~大分駅間の電車特急列車となり、佐世保駅発着編成は大阪駅~都城駅間運行の気動車特急「いそかぜ」に連結されることとなった。
- 1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と後に呼ばれる事になる、「サン・ロク・トオ」と並ぶほどの大規模なダイヤ改正が行われ、特急・急行が増発される。また、列車愛称の整理と準急種別の廃止もこの時行われた。山陽本線においてもこのダイヤ改正の影響は大きく、下記のような変化があった。なおこの時から、「不定期列車」は「季節列車」と呼ばれるようになった。
- 定期特急
- 新設列車
- 増発列車
- 「はと」 1往復→定期1往復・季節1往復
- 「しおじ」 2往復→3往復(新大阪駅~広島駅、下関駅)
- 「あさかぜ」 1往復→2往復
- 「月光」 1往復→2往復
- 「あかつき」 1往復→2往復(新大阪駅~西鹿児島駅・長崎駅、西鹿児島駅・佐世保駅)
- 運転区間変更
- 「かもめ」 京都駅~長崎駅・西鹿児島駅→京都駅~長崎駅・佐世保駅
- 廃止列車
- 「しおかぜ」・「いそかぜ」
- 定期急行
- 新設列車
- 「玄海」 名古屋駅~博多駅 電車
- 「ながと」(2往復) 新大阪駅~下関駅 電車
- 「とも」(3往復) 新大阪駅・大阪駅~三原駅(他に1往復季節列車あり) 電車
- 「山陽」(3往復) 広島駅~博多駅
- 「日南」(2往復) 京都駅~都城駅・大阪駅~宮崎駅 客車寝台
- 「雲仙」 京都駅~長崎駅 客車寝台
- 「西海」 大阪駅~佐世保駅(他に1往復季節列車あり) 客車寝台
- 増発列車
- 「つくし」 1往復→定期2往復(1往復夜行)・不定期1往復
- 「音戸」 1往復→2往復(新大阪駅~広島駅、下関駅。呉線経由)
- 廃止列車
- 「雲仙」・「西海」・「玄海」・「平戸」・「夕月」・「日向」・「山陽」・「関門」・「ななうら」・「びんご」・「にしき」・「とも」・「みずしま」・「周防」
- 季節急行
- 新設列車
- 「ながさき」 東京駅~長崎駅 客車寝台
- 「べっぷ」(3往復) 新大阪駅~大分駅(内1往復は、小倉駅まで季節「つくし」と併結)
- 廃止列車
- 「五島」・「くにさき」
- ※「五島」はこの後、1980年頃まで名古屋駅~長崎駅間にて多客期の季節急行列車として運行された。
- 1969年(昭和44年)5月 等級制度が廃止され、それまでの一等車はグリーン車、一等寝台車はA寝台車となり、二等車・二等寝台車はそれぞれ普通車・B寝台車となった。
- 1969年(昭和44年)10月 「はと」、不定期1往復を定期に格上げして2往復となる。「しおじ」も4往復に増発。「明星」は不定期(週1本運休の他は毎日運行)1往復が新設された。急行「とも」のうち1往復を赤穂線経由に変更。
- 1970年(昭和45年)10月 呉線の電化が完成し、ダイヤ改正。「しおじ」は5往復、「あさかぜ」は3往復、「明星」は2往復に増発され、「安芸」は「あさかぜ」にとって代わられる形で廃止。京都駅~西鹿児島駅間に583系電車を使用した寝台特急「きりしま」が新設され、東京駅~西鹿児島駅間運転の「霧島」は「桜島」と改称された。「宮島」が呉線経由となり、「吉備」1往復が「山陽」に編入されて「吉備」が1往復、「山陽」は4往復となる。「とも」のうち赤穂線経由の1往復を大阪駅~呉駅間に延長し電車急行(新)「安芸」を設定。臨時急行「ながさき」は、東京駅~新大阪駅間の運行を廃止して「雲仙」に統合し消滅。
[編集] 山陽新幹線岡山開業
- 1972年(昭和47年)3月 山陽新幹線の新大阪駅~岡山駅間が開業し、それに伴った大規模なダイヤ改正が行われる。山陽本線では新幹線と重複する新大阪駅~岡山駅の列車が大幅に削減され、その一方で新幹線との接続列車となる岡山以西の列車は増発された。その概要は以下の通りである。
- 特急列車
-
- 「つばめ」 岡山駅~博多駅・熊本駅間に運行区間を短縮した代わりに、6往復へと大幅な増発がなされる。
- 「はと」 岡山駅~下関駅間に運転区間を短縮し、4往復となる。
- 「しおじ」 乗換えを嫌う乗客のため、新大阪駅~広島駅・下関駅間に3往復が存続。
- 「あかつき」 3往復(新大阪駅~西鹿児島駅・長崎駅、西鹿児島駅・佐世保駅、熊本駅・長崎駅)間に増発。
- 「月光」 1往復が下の「明星」に譲る形で廃止され、岡山駅~西鹿児島駅間1往復となる。(他に季節列車で岡山駅~博多駅間が1往復あり)
- 「明星」 4往復(京都駅、新大阪駅~博多駅、熊本駅)に増発。
- 「彗星」 2往復(新大阪駅~大分駅、宮崎駅)に増発。
- ※その他「かもめ」・「みどり」といった関西~九州間の昼行列車と、東京~九州間のブルートレインには変化なし。
- 急行列車
-
- 「玄海」 岡山駅~博多駅、熊本駅に運転区間が短縮された代わりに、「しらぬい」・「つくし」を吸収して3往復となる。
- 「つくし」 2往復に削減。1往復は客車列車となる。
- 「べっぷ」 不定期3往復の内1往復を定期列車に格上げ(本州内は「つくし」と併結、赤穂線経由)。
- 「山陽」 8往復(岡山駅~広島駅、南岩国駅、下関駅)に増発。また、下関駅~広島駅間に上りのみ1本運転。
- 「安芸」 岡山駅~呉駅、広島駅間3往復運転の列車となる。
- 「屋久島」 それまでの「しろやま」を観光誘致のため改称。また、東京駅~西鹿児島駅間運転の季節急行列車も「屋久島」となった。
- ※「しらぬい」・「ながと」はそれぞれ「玄海」・「山陽」に吸収されて廃止。
- 1972年(昭和47年)10月 「つばめ」は7往復、「あかつき」は4往復に増発。「つばめ」・「はと」・「しおじ」をエル特急に指定。
- 1973年(昭和48年)3月 「みどり」、岡山駅~大分駅間に1往復新設し、2往復に。
- 1973年(昭和48年)10月 昼行特急の「つばめ」が8往復、「はと」は5往復、「しおじ」も5往復に増発される。「なは」が電車化され、「日向」と分離して単独運転となる。寝台特急では「あかつき」は2往復増発により6往復、「彗星」は2往復が増発されて4往復に(1往復は本州内で「あかつき」と併結)、「月光」は不定期1往復が定期化されて定期2往復になる。「べっぷ」、定期・不定期含め全廃。
- 1974年(昭和49年)4月 「日向」が電車化される。「あかつき」が7往復、「彗星」は5往復に増発。「明星」は1往復が季節列車に格下げされて定期3往復となる。なおこの頃が山陽本線優等列車の最盛期といえるが、その山陽新幹線が開業する前の最後の年末輸送(1974年(昭和49年)12月27日~31日)時の様子を示すと、下記のようになる。
- 定期列車
- 昼行特急列車
-
- 「つばめ」(8往復) 岡山駅~博多駅、熊本駅
- 「はと」(5往復) 岡山駅~下関駅
- 「しおじ」(5往復) 大阪駅、新大阪駅~広島駅、下関駅
- 「なは」 大阪駅~西鹿児島駅
- 「かもめ」 京都駅~長崎駅・佐世保駅
- 「みどり」(2往復) 大阪駅~大分駅、岡山駅~宮崎駅
- 「日向」 大阪駅~宮崎駅
-
- 夜行特急列車
-
- 「はやぶさ」 東京駅~西鹿児島駅
- 「さくら」 東京駅~長崎駅・佐世保駅
- 「みずほ」 東京駅~熊本駅
- 「富士」 東京駅~西鹿児島駅(日豊本線経由)
- 「あさかぜ」(3往復) 東京駅~下関駅、博多駅
- 「金星」 名古屋駅~博多駅
- 「あかつき」(7往復) 新大阪駅~長崎駅・西鹿児島駅、長崎駅、西鹿児島駅、佐世保駅、熊本駅、長崎駅・佐世保駅
- 「明星」(3往復) 新大阪駅~博多駅、熊本駅
- 「きりしま」 京都駅~西鹿児島駅
- 「彗星」(5往復・内1往復は「あかつき」と併結) 新大阪駅~大分駅、宮崎駅、都城駅
- 「月光」(2往復) 岡山駅~博多駅、西鹿児島駅
-
- 昼行急行列車
-
- 「つくし」 大阪駅~博多駅(赤穂線経由)
- 「屋久島」 大阪駅~西鹿児島駅(九州内夜行)
- 「玄海」(3往復) 岡山駅~博多駅、熊本駅
- 「山陽」(下り7本、上り9本)岡山駅、広島駅~広島駅、下関駅
- 「安芸」(3往復) 岡山駅~呉駅、広島駅(呉線経由)
- 「青島」 広島駅~西鹿児島駅(日豊本線経由)
- 「出島」 呉駅~長崎駅・佐世保駅
- 「はやとも」 広島駅~博多駅
-
- 夜行急行列車
-
- 「桜島」 東京駅~西鹿児島駅(鹿児島本線経由)
- 「高千穂」 東京駅~西鹿児島駅(「桜島」と併結。日豊本線経由)
- 「阿蘇」 名古屋駅~熊本駅
- 「天草」 京都駅~熊本駅
- 「雲仙」 京都駅~長崎駅
- 「西海」 大阪駅~佐世保駅
- 「日南」(2往復) 大阪駅~宮崎駅
- 「つくし」 大阪駅~博多駅
- 「音戸」 大阪駅~下関駅、京都駅~広島駅
- 季節列車・臨時列車
- 昼行特急列車
-
- 「つばめ」 岡山駅~博多駅
- 「はと」 岡山駅~下関駅
- 「しおじ」(3往復) 大阪駅~広島駅、下関駅
-
- 夜行特急列車
-
- 「あさかぜ」 東京駅~博多駅
- 「金星」 名古屋駅~熊本駅
-
- 昼行急行列車
-
- 「五島」 名古屋駅~長崎駅(九州内夜行)
- 「屋久島」(2往復) 大阪駅~西鹿児島駅(九州内夜行)
- 「ひとよし」(「屋久島」と併結) 大阪駅~人吉駅(九州内夜行)
- 「山陽」(3往復) 岡山駅~広島駅、下関駅
- 「関門」 広島駅~下関駅
- 「はやとも」 広島駅~博多駅
-
- 夜行急行列車
-
- 「あまみ」 名古屋駅~西鹿児島駅
- 「くまもと」 名古屋駅~八代駅
- 「高千穂」(「高千穂」と併結) 名古屋駅~宮崎駅
- 「屋久島」(2往復) 京都駅、新大阪駅~西鹿児島駅
- 「天草」 新大阪駅~熊本駅
- 「べっぷ」(2往復、1往復は「天草」と併結) 新大阪駅、大阪駅~大分駅
- 「日南」 大阪駅~宮崎駅
- 「西海」(「屋久島」と併結) 新大阪駅~佐世保駅
- 「壇の浦」 大阪駅~下関駅
- 「音戸」 大阪駅~下関駅(呉線経由)
- 「させぼ」 岡山駅~佐世保駅
[編集] 山陽新幹線全線開業
- 1975年(昭和50年)3月 山陽新幹線岡山駅~博多駅間開業により、大規模なダイヤ改正。この当時、国鉄では財政が逼迫していたため、増収を図るべく料金の高額な新幹線にできるだけ旅客を移行させることを考え、東海道新幹線が開業した時のように一部の列車を存続させるようなことはせず、昼行列車については全廃、夜行列車も大幅な削減と再編成を行う事になった。
- 廃止列車
-
- 特急列車 「つばめ」・「はと」・「しおじ」・「かもめ」・「なは」・「日向」・「みどり」・「きりしま」・「月光」
- 急行列車 「桜島」・「高千穂」・「長州」・「阿蘇」・「音戸」・「山陽」・「玄海」・「つくし」・「青島」・「安芸」・「天草」・「屋久島」・「日南」
- 本数削減
-
- 「あさかぜ」 3往復→2往復(東京駅~博多駅、下関駅)
- 「あかつき」 7往復→3往復(すべて長崎本線・佐世保線系統となる)
- 「彗星」 5往復→3往復
- 新設列車
- 特急列車
-
- 「なは」 新大阪駅~西鹿児島駅 ブルー・トレイン(それまでの「きりしま」の代替として設定)
- 「安芸」 新大阪駅~下関駅 ブルー・トレイン(呉線経由・「音戸」1往復を特急に格上げする形で誕生)
-
- 急行列車
-
- 「くにさき」 大阪駅~大分駅 客車
- 「阿蘇」 新大阪駅~熊本駅 客車(それまでの「天草」を改称)
- 増発列車
-
- 「明星」 定期3往復・不定期1往復→定期7往復(「あかつき」の鹿児島本線系統編成などを統合)
- その他
-
- 「雲仙」・「西海」は併結列車(新大阪駅~長崎駅・佐世保駅)となった。
- 1978年(昭和53年)10月 山陽新幹線への乗客の移行が予想以上に進んだことや、1975年(昭和50年)11月に行われた料金値上げ(平均32.2%・グリーン料金は約92%)と国鉄労働組合(国労)・国鉄動力車労働組合(動労)などによる8日間連続に及ぶストライキ、さらに翌1976年(昭和51年)10月に行われた運賃・料金の50%値上げなどの影響で国鉄そのものの利用客数が減ったことから、「ゴー・サン・トオ」と呼ばれるダイヤ改正を実施し、夜行列車の整理が行われる。まず、「安芸」が、急行から特急に格上げられたもののさほどスピードアップしなかったことで実質的な「値上げ」と利用客に受け取られたことや、呉線内での時間帯の悪さなどが原因で利用客が低迷したことから廃止され、「明星」も4往復に削減された。「くにさき」と「阿蘇」も門司駅まで併結運転となる。
- 1980年(昭和55年)10月 このダイヤ改正では再び列車が削減され、急行「阿蘇」・「くにさき」・「雲仙」・「西海」廃止。山陽本線の定期夜行急行が消滅した。また、「明星」も1往復削減されて3往復となる。「彗星」も1往復削減により2往復に。
- 1982年(昭和57年)11月 このときのダイヤ改正で、「金星」は臨時列車に格下げされ、「明星」を1往復、「あかつき」を2往復に削減。なおこれらの優等列車と貨物列車の削減によってダイヤに余裕ができたことから、山陽本線の広島駅~大野浦駅・岩国駅で、普通列車をそれまでの毎時1・2本から日中15分間隔にする国電・私鉄風のパターンダイヤが試験導入された。
- 1984年(昭和59年)2月 このときのダイヤ改正で、「明星」が「あかつき」と併結運転となり、「彗星」も1往復削減によって1往復となる。また、広島での試験導入が概ね良好な成績を収めたことから、山陽本線・呉線の岡山駅~糸崎駅間、西条駅~広島駅間、呉駅~広島駅間でも同種の普通列車増発によるパターンダイヤを導入。以後、国鉄では「他交通機関との競争力を失った優等列車を削減する傍らで地域輸送列車を増発する」形のダイヤ改正が主流となっていく事になった。
- 1986年(昭和61年)11月 「明星」は臨時列車に格下げされ、「あかつき」も1往復になる。また、この時行われたダイヤ改正は翌1987年(昭和62年)4月に国鉄分割民営化によるJR発足も控えていたので、国鉄最後の大規模改正であるとともに分割民営化を前提としたものとなり、全国的に「地域密着型ダイヤ」というべき普通列車の増発が行われた。
- 1990年(平成2年)12月頃 品川駅・新大阪駅~博多駅・西鹿児島駅・長崎駅間に臨時急行「玄海」・「霧島」・「雲仙」運行開始。これは、もともと臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」・「明星81・82号」(「明星」は、1986年(昭和61年)11月に臨時列車に格下げ)・「あかつき81・82号」だったが、使用されていた車両が20系客車だったため、急行に格下げられたものである。
- 1994年(平成6年)12月 博多駅発着の「あさかぜ」1往復と「みずほ」が臨時列車に格下げ(後に消滅)。また、臨時急行「霧島」・「雲仙」の運行を取りやめ。
- 1999年(平成11年)12月 「さくら」と「はやぶさ」が併結運行(東京駅~鳥栖駅~長崎駅・熊本駅間)となる。
- 2000年(平成12年)3月 「あかつき」と「彗星」が併結運行(京都駅~門司駅~長崎駅・南宮崎駅)となる。
- 2005年(平成17年)3月 「さくら」と「あさかぜ」が廃止され、「はやぶさ」と「富士」が併結運行(東京駅~門司駅~熊本駅・大分駅間)となる。
- 2005年(平成17年)10月 「彗星」が廃止され、「なは」と「あかつき」が併結運行(京都駅~鳥栖駅~熊本駅・長崎駅間)となる。
[編集] 列車名の由来
(五十音順)
- 「青島」(あおしま) 目的地宮崎県宮崎市の南部に位置する「青島」にちなむ。
- 「安芸」(あき) 目的地広島県西部の旧国名「安芸」にちなむ。
- 「あかつき」 明け方を表す言葉の「暁」にちなむ。
- 「あさかぜ」 朝に目的地に到着することから、朝吹く風の「朝風」にちなむ。
- 「阿蘇」(あそ) 目的地熊本県の「阿蘇山」にちなむ。
- 「天草」(あまくさ) 目的地熊本県の「天草諸島」にちなむ。
- 「あまみ」 目的地鹿児島県に属する「奄美大島」にちなむ。
- 「有明」(ありあけ) 目的地付近の湾「有明海」にちなむ。
- 「いそかぜ」 目的地宮崎県日南海岸の「磯に吹く風」にちなむ。
- 「雲仙」(うんぜん) 目的地長崎県にある火山の「雲仙岳」にちなむ。
- 「音戸」(おんど) 広島県呉市付近の瀬戸内海の海峡「音戸の瀬戸」にちなむ。
- 「海星」(かいせい) 「海(玄界灘)上空に輝く星」のイメージから。
- 「かもめ」 鳥の「カモメ」にちなむ。
- 「関門」(かんもん) 目的地山口県下関市から望める「関門海峡」にちなむ。
- 「吉備」(きび) 岡山県全域と広島県東部の旧国名「吉備」にちなむ。
- 「霧島」・「きりしま」 鹿児島県と宮崎県にまたがる「霧島山」にちなむ。
- 「金星」(きんせい) 太陽系惑星の「金星」にちなむ。
- 「くにさき」 大分県北部の「国東半島」にちなむ。
- 「くまもと」 目的地の「熊本」にちなむ。
- 「月光」(げっこう) 月の光を表す「月光」にちなむ。
- 「玄海」・「げんかい」 目的地付近の海域名「玄界灘」にちなむ。
- 「五島」(ごとう) 目的地の長崎県西方に位置する「五島列島」にちなむ。
- 「西海」(さいかい) 九州地方の海を表す「西海」にちなむ。
- 「櫻」・「さくら」 日本を象徴する花の「サクラ」にちなむ。
- 「桜島」(さくらじま) 目的地鹿児島県にある「桜島」にちなむ。
- 「させぼ」 目的地の「佐世保」にちなむ。
- 「さちかぜ」 「幸せを運ぶ風」の意味で作られた造語による。
- 「さつま」 目的地鹿児島県の旧国名「薩摩」にちなむ。
- 「山陽」(さんよう) 五畿七道の一つである「山陽道」と路線名にちなむ。
- 「しおかぜ」 瀬戸内海の「海から吹く塩気を含んだ風」にちなむ。
- 「しおじ」 瀬戸内海の「海流の流れる道」にちなむ。
- 「しらぬい」 有明海・八代海でみられる現象名「不知火」と、それにちなんだ八代海の別名「不知火海」にちなむ。
- 「しろやま」 目的地の鹿児島県鹿児島市にあり、西南戦争の激戦地であった「城山」にちなむ。
- 「彗星」(すいせい) 天体の「彗星」にちなむ。
- 「周防」(すおう) 目的地山口県東部の旧国名「周防」にちなむ。
- 「高千穂」・「たかちほ」 霧島山の「高千穂峰」にちなむ。
- 「壇の浦」(だんのうら) 目的地山口県下関市の「壇ノ浦の戦い」で有名な「壇ノ浦」にちなむ。
- 「長州」(ちょうしゅう) 目的地山口県西部の旧国名「長門」の別称「長州」にちなむ。
- 「筑紫」・「つくし」 目的地福岡県の旧国名「筑紫」にちなむ。
- 「つばめ」 鳥の「ツバメ」にちなむ。
- 「出島」(でじま) 目的地長崎県長崎市の「出島」にちなむ。
- 「とも」 広島県福山市の景勝地「鞆の浦」にちなむ。
- 「ながさき」 目的地の県名・市名「長崎」にちなむ。
- 「長門」・「ながと」 目的地山口県西部の旧国名「長門」にちなむ。
- 「ななうら」 「安芸の宮島」の景勝地である「七浦」にちなむ。
- 「なは」 沖縄の本土復帰を願い、その中心地で現在の県庁所在地でもある「那覇市」にちなんで命名。
- 「にしき」 山口県東部の錦帯橋で有名な「錦川」にちなむ。
- 「日南」(にちなん) 宮崎県にある国定公園の「日南海岸」にちなむ。
- 「はと」 鳥の「鳩」にちなむ。
- 「早鞆」・「はやとも」 関門海峡の「早鞆の瀬戸」にちなむ。
- 「はやぶさ」 鳥の「ハヤブサ」にちなむ。
- 「ひとよし」 目的地の「人吉」にちなむ。
- 「ひのくに」 目的地熊本県の旧国名「肥後」から出た「肥の国」の語による。
- 「日向」(ひゅうが) 目的地宮崎県の旧国名「日向」にちなむ。
- 「平戸」(ひらど) 長崎県の「平戸島」・「平戸市」にちなむ。
- 「びんご」 岡山県・広島県東部の旧国名「備後」にちなむ。
- 「富士」(ふじ) 日本を象徴する山の「富士山」にちなむ。
- 「ふたば」 広島市の北にある「二葉山」にちなむ。
- 「ぶんご」 目的地大分県の旧国名「豊後」にちなむ。
- 「平和」・「へいわ」 「平和」を願うという意味から。
- 「べっぷ」 目的地大分県の「別府市」・「別府温泉」にちなむ。
- 「みずしま」 岡山県の「水島灘」にちなむ。
- 「みずほ」 瑞々しい稲穂を表す言葉の「瑞穂」から。
- 「みどり」 爽やかな感じのする色の「緑」と、「太陽と緑の国」と呼ばれる九州にちなむ。
- 「宮島」(みやじま) 日本三景の「厳島」の通称「宮島」にちなむ。
- 「明星」(みょうじょう) 金星の異称「明星」にちなむ。
- 「屋久島」(やくしま) 目的地の鹿児島県に属する「屋久島」にちなむ。
- 「やしろ」 山口県にある周防大島の正式名「屋代島」にちなむ。
- 「夕月」(ゆうづき) 「夕方見える月」のイメージから。
[編集] 参考文献
- 寺本光照『国鉄・JR 列車名大事典』(中央書院、2001年7月)ISBN 4887320930